2022年3月28日月曜日

【駆け出しのころ】アジア航測取締役社会インフラマネジメント事業部長・臼杵伸浩氏

  ◇哲学を持って考え抜く◇

 私が中学生だった1983年8月、自宅近くの小貝川(茨城県取手市)が決壊しました。田畑が洪水に襲われる状況を目の当たりにし、防災の仕事に携わりたいと思います。アジア航測に入り、砂防関係の業務を担当するようになりました。

 入社当時の上司だった小川紀一朗会長の仕事を見ながら、顧客ニーズを的確に捉えた提案方法やプレゼンテーション技術を学びました。仕事をする上で「哲学を持て」という小川会長の言葉を踏まえ、何も考えずに仕事をするのではなく、常に思考を巡らすことを意識するようになりました。

 入社3年目の頃、砂防ダムの設計基準の制定経緯などにも思いを巡らす必要性を感じ、社内の自由研究で砂防ダムデザインを研究しました。デザインの歴史を調べるため、砂防図書館へ通い始めます。そのうち、図書館の館長からいろいろな参考図書を紹介され、砂防ダムの歴史なども教わるようになりました。

 しばらくして会社でそのことを話すと、館長は建設省(現国土交通省)砂防部の初代部長を務められた矢野義男さんだと教えられました。ある時、矢野さんから京都大学の学生の頃に使っていた欧州の砂防事業に関する研究資料をいただきます。ガラス乾板で撮影した写真が掲載された150ページにも及ぶ手書きの立派な本で、今でも私の大切な宝物となっています。

 デザインの歴史的な背景を知り、砂防調査・計画・設計の考え方をより深く理解できます。哲学を持って仕事に取り組むことで、さらに新しい視点からものごとを考えることができる。私の仕事へのアプローチの大きな転換点となりました。

 矢野さんからは、リーダーとしての振る舞いも学びました。終戦直後に国民を励ますための昭和天皇の行幸ルートを設定する責任者だった時、壊れかけた橋を補修したものの物資が不足し十分な工事はできません。万が一にも落橋した時、補修に携わった人に責任が及ばぬよう、その場で自ら切腹しようと日本刀を持っていたそうです。激動期を駆けた人の生きざまに感銘を受けました。

 1999年に広島で発生した土砂災害では、被災直後の現場に初めて足を踏み入れました。行方不明者の救助・捜索活動と並行しての現地調査は常に危険と隣り合わせでしたが、緊急対策計画の策定という強い使命感がありました。

 富士山大沢崩の調査には何度も携わりました。日が昇る前からスタートする過酷な調査。大沢崩には何度も登りましたが、今はさすがに前のような体力はありません。

 仕事に哲学を持つこと。これからの若い人には、何か疑問に思うことは徹底して調べ考え抜いてほしいと思います。矢野さんに私のような新人がいろいろと話をしていただけたのは、礼儀をわきまえていたこともあったと思います。初対面の時から、あいさつやお礼は欠かしていません。若い人の礼儀正しい姿は、目上の方にすがすがしく映るのだと思います。

10年ほど前に調査した富士山大沢崩れ(標高3400m付近)

 (うすき・のぶひろ)1992年宇都宮大学林学科(砂防専攻)卒業、アジア航測入社。防災地質部長、西日本支社長などを経て2021年から現職。神奈川県出身、54歳。

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