2022年3月7日月曜日

【駆け出しのころ】ライト工業取締役施工技術本部長・川本治氏

  ◇誠意持ち逃げずに前進◇

 高専の先生から「土木の業界ではオンリーワン的な会社」と当社のことを聞きました。入社後の研修期間中、千葉県内の工業地帯で薬液注入による地盤改良工事の現場に立ちます。先輩の指導の下、職人の方々にも怒られながら現場業務に携わりました。まったく知らない世界で毎日いろいろなことが起こり、逆に楽しさを感じました。

 研修を終え、中国支店の工事部門に配属されます。2カ月ほどあちこちの現場を巡った後、山陽自動車道ののり面処理工事の現場を担当。岡山県内の笠岡・倉敷間の40キロ弱で、多くの工区の工事に3年ほど携わります。のり面関連の大半の仕事を経験し、学ぶことができました。

 長期に及ぶ大規模工事だったため、現場近くに一軒家を借りて担当者らが共同生活しました。30代前半の所長から新人の私を含めて5人ほどが朝から晩まで顔を合わす生活は、プライベートの時間が全くありません。先輩らとの同部屋で夜は川の字で寝るなど、最初は慣れませんでした。仕事も忙しく、夕食の後は部屋に戻って図面を描いたり、書類を作成したり、夜遅くまで仕事の日々。仕事熱心な先輩たちに、かなり鍛えられました。

 いくつかある現場の一つを任された時は、品質管理に非常に気を使いました。先輩には「分からないことはあいまいに返答せず、時間をかけても正解を見つけて対応しなさい」と諭されました。

 その後、結婚することになったのですが、仕事を続けるか迷いました。休みが取りづらく、転々とする生活に不安を感じていた時、当時の工事課長の自宅に呼ばれ、食事をしながら励まされます。課長の計らいがあったのか、次の現場も高速道路ののり面処理に3~4年携わり、新居から通うことができました。

 この現場では原価管理にも関わり、元請側と直接交渉して契約変更などをお願いしました。リスクを見越して先手先手で物事を進め、いいものを造りながらもうける意識が強まり、仕事の面白さも増しました。

 技術者として脂が乗りだす7年目に転機が訪れ、山口営業所に異動します。当時の営業職としてはかなり若く、第2の駆け出しの頃は現場の時よりも苦労の連続。現場の大変さを思うと見積もりも高くなりがちで、仕事が取れません。顧客からダメ出しされつつも勇気を振り絞って通い続けました。周りのサポートを得ながら頑張った成果が実を結び、「今回は君のところに任せよう」と初めて言われた時はうれしかったです。

 何事も誠心誠意を持って対応するよう心掛け、営業時代も現場にはよく顔を出しました。仕事がいいかげんだと思われたら次はありませんが、結果が良ければ次も任せてもらえます。若手には目の前の壁から逃げず、前を向いて進んでもらいたいです。

入社4年目ころ、現場から帰って自宅で長男と

 (かわもと・おさむ)1986年徳山工業高等専門学校土木建築工学科卒、ライト工業入社。西日本支社副支社長兼中国支店長、技術営業本部副本部長、九州統括支店長などを経て2020年6月から現職。山口県出身、56歳。

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