2018年1月29日月曜日

【建設業の心温まる物語】平賀工業(岡山県)・平賀久康さん

 ◇今は亡き父からの一番のプレゼント◇

 私は高校を卒業して建築の専門学校に行き、大阪に本社があるゼネコンに就職しました。そこで現場監督を10年ほど経験しました。

 私は四国で家族とともに暮らしていましたが、ある日、岡山に住む母から「お父さんが倒れたから戻ってきて家業である左官業を継いでくれ」と電話がありました。突然のことでとてもびっくりしました。

 父は中学校を卒業後、左官の腕を磨き、その後会社を設立していたのです。私は悩んだ結果、実家に戻り父の家業を継ぐことを決意しました。しかし、左官の仕事は今まで行っていた現場監督とは畑違いの仕事です。私は、なんとなく現場監督の方が、格上という意識があり、左官という職種になかなか慣れませんでした。

 その後、父は車いす生活になってしまいました。私は、これからどうすればよいのか、思い悩みながらも、忙しくて愚痴を言う暇もないまま、がむしゃらに左官の仕事を行っていました。

 私が左官の仕事をし始めて10年ほどたったある日、父から「東京に行くから連れていってやる」と言われました。東京に何をしに行くのかと、不思議に思いました。東京に行く理由、それは、黄綬褒章を天皇陛下から授与されることになったのです。

 その日、私は父の車いすを押しながら皇居にいました。父が黄綬褒章を授与される瞬間に立ち会うことができたことは、最高の思い出です。いつも厳しい父でしたが、父を誇りに思うとともに、今は亡き父からの一番のプレゼントです。親子二代で受賞できるよう、今後ますますがんばる決意です。

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