2017年6月19日月曜日

【駆け出しのころ】若築建設取締役兼執行役員管理部門長兼経営企画部担当兼経営企画部長・中村誠氏


 ◇小さな改善を積み上げて◇

 社会人生活は失敗からのスタートでした。東京・代々木の国立オリンピック記念青少年総合センターで行われた新入社員研修の初日、私はいきなり遅刻してしまったのです。

 大学の卒業式を終え、前日に山口から出てきて東京都内に宿泊し、翌日の研修に備えていました。ところが、会社から「代々木に来るように」と言われ、東京をほとんど知らない私は「代々木駅で降りればいい」と思い込んでいたのです。そうして代々木駅で降り、研修施設までの行き方を駅員に聞くと「最寄り駅は違う」との答え。急ぎタクシーに乗ったものの道路は渋滞で車はなかなか進まず、ようやく着いた時はもう研修が始まっていました。当然、研修で時間厳守をきっちり指導されたのは言うまでもありません。今思い出しても冷や汗が出てくるようです。

 最初に勤務したのは工事本部工務課で、工事の実績管理と各種集計業務を担当しました。ホストコンピューターが導入され、表計算ソフトなども出始めていましたが、まだまだ、手書きと手計算での業務が多く、私も最初の頃は慣れないそろばんで計算するしかなかったのですが、自身の能力不足もあり効率が悪く、これでは駄目だと思い、当時はいかにして手書きと手計算をせずに、仕事を進める方法がないかを考えていたものです。今考えれば、多忙な時こそ、さまざまな知恵が出てくるものだと思います。

 若い頃はよく、社内旅行やスポーツイベントなどの幹事もやっていました。そうした幹
事役は若手事務方に回ってくるもので、社内旅行では旅館に入っても段取りに追われて風呂にも入れませんし、宴会になると皆の前で出し物を披露しなければなりません。好きでやっていたわけではありませんが、これも後から振り返ればとても良い経験になっています。

 労働組合の専従書記長を務めたこともあります。2年の専従期間を終えて配属されたのが、新設の関連事業室です。兼任の上司を除くと私しかいない部署であり、連結会計を見据えた関連会社の管理が主な仕事でした。それまでは工事の原価管理や人事の仕事しか知らなかったため、株主総会や取締役会のことなどを他部署の方に教えを請いながら勉強し、最後には子会社の税務申告にも対応できるようになっていました。

 私は人と人のつながりで仕事は進んでいくのだと思っています。自分一人ではできないことがたくさんあり、周りに支えられて今の自分があり、周りに感謝する気持ちを忘れないことが大切だと思います。現在の大きなテーマは働き方改革。簡単には実現できませんが、難しいからといって横道にそれるのではなく、小さな改善でもそれを積み上げていけば大きな変化になっていく気がします。できない理由を並べるのではなく、小さくてもいいからできる方法を考えて実行していくことが大切だと思います。

 (なかむら・まこと)1983年山口大学経済学部経済学科卒、若築建設入社。総務部次長兼総務課長兼法務課長、管理部門総務人事部部長兼経営企画部部長、取締役兼執行役員経営企画部担当兼経営企画部長などを経て、16年6月から現職。福岡県出身、56歳。

人事部時代に新入社員の集合研修でトレーナーを務めた
(1992年3月撮影)

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