5月20日に89歳で死去した建築家の池原義郎氏(早稲田大学名誉教授、日本芸術院会員)。芸術性あふれる多くの作品を創造するとともに、早大で長年にわたり次代の建築界を担う人材の教育・育成に力を注いできた。
都市やまちづくりへの見識も深く、日刊建設工業新聞の創刊80周年を記念した企画シリーズ「再生への実践シナリオ」(2008~09年)では、各界の識者4人と21世紀に目指すべき都市像などについて対談してもらった。本紙に掲載した単独インタビューも含むシリーズ記事の中から、改めて“池原語録”をたどる。
□もっと柔らかい発想でまちづくりを進めていかなければならない□
「私は子供のころ、東京の渋谷で育った。当時、子供が歩ける範囲は世田谷の辺りまでで、その範囲で東京を感じていた。遠くから『ボーッ』という音が聞こえた。驚いておやじに尋ねると、品川や芝浦のあたりの港に停泊している船の汽笛だという。谷や坂しか見えない渋谷で、音のするかなたに海を想像したものだ。昼間は視覚の世界であったが、夜になると聴覚の世界となった。山手線の電車が近づいてくる音や駅員の放送で昼間と違う広がりの空間を感じることが出来たし、げたの音で人の動きも想像された。初めて円山町花街の芸者さんとすれ違った時は、化粧のにおいでその界隈を想像し、百軒店の路地を歩けば、その近代的な盛り場を感じることができた。
今の都市空間には、そうした直接の感触でとらえる要素がなくなってしまった。昔は日常生活の中に時間軸や季節軸があった。今の時代はもっと拡大した感覚軸があるのかもしれないが、個体直接のものから遠く、隔たりを感じてしまう」
「『汎東京湾都市』を実現させるために、東京湾岸の都県の区分けを超えた特別な行政区の拠点をつくり、各自治体の連携した都市運営を行うことはできないだろうか」
「これまでの都市計画では、用途や機能ごとに土地の利用の仕方を分類し配置する『ゾーニング計画』の手法が原則であった。その結果、都市が機能分化してしまい、さまざまな問題や歪(ひず)みを生んでしまった。これからは、もっと柔らかい発想でまちづくりを進めていかなければならない。さまざまな種類の人々が集まり、生き生きとした創意によって市民のための生活空間を作ることが重要である」。
(2008年1月7日付、シリーズ企画第1弾のインタビューで)
□これまで日本人が歴史の中で脈々と蓄積してきた感覚を再認識するべきだと思うのです□
「もともと日本人はいい感覚を持っていました。直感力と言った方がいいかもしれない。江戸時代には家康という巨人がいて、すごく大きな地図をつくりました。城の近くの高台を武士の居留地として押さえ、低地に町人が暮らす街をつくりました。ところが、江戸の下町の人たちは非常に賢くて、与えられた状況の中で、したたかに生き抜いていくわけです。家康のつくった空間図式の中で自分たちの楽しみの場所をつくっていった。そういう天才的な才能を持っていたのです。
いま、世の中はおカネの時代になって、おカネが全部の筋書きをつくって、それだけで終わっている。もう一度ここで反省し、いまのおカネで動いている姿の皮を一枚剥いでみる。そうして、これまで日本人が歴史の中で脈々と蓄積してきた感覚を再認識すべきだと思うのです。
東京湾に森の島をつくり、軸をつくると言っても、その軸は非常に日本的で精神的なものです。ベルリンの街の中心部を貫くウンター・デン・リンデン・シュトラッセみたいな軸はない。何が軸になっているかというと、認識です。心の軸と言ってもいいかもしれません。森の島があって、それからお台場があって、東京タワーがあり、皇居がある。反対側は木更津や房総半島に延びていきます。東京に住んでいる人は頭に地図を持っていますから、それぞれ頭の中にそれぞれの心の軸を設定できる。それが本当の豊かさにつながっていくのではないかと思います」
(2008年3月25日付、建築家・安藤忠雄氏との対談で)
□親水性の護岸にすれば、豊かな楽しい水のまちづくりができるのではないかと話をしました□
「私は旧制中学時代に戦争の時を過ごし、学徒動員で汐留の貨物駅で荷物の運搬荷役をし、下町の市民街と水辺に開く工場地帯を走りまわっていました。いま、隅田川沿いの工場跡地の再開発事業などを見ておりますと、『ああ、ここまできたか』という感があります」
「私は子どもの頃、よく市電に乗りました。当時7銭払えばどこまでも乗れるので、更にバスに乗りかえながら小松川橋を渡って浦安の方まで行ったことがあります。そのときに、錦糸町を越えるとまさに水の街で一面が田んぼでした。年に数回、増水して水びたしになるので、外壁が1メートルぐらいのところまで色が変わっている。住民は出水にもう慣れているのですね。そのくらい水と一緒に生活をしていた。でも最近は都市に洪水があると困るというのでカミソリ護岸になっていますね。そのせいで、今では水が風景には見えなくなってしまいました」
「この前、都市環境が専門の尾島俊雄さんと対談をした時に、尾島さんはこの地域周辺を元の水の街に戻すべきだと言っておられました。比較的簡単な技術で水位を一定に保つことができるそうです。よく考えてみれば、オランダでは、昔から風車と水門という、素朴な技術で水位の調節を行っていますよね。そうして親水性の護岸にすれば、江戸時代にあった水際の風景を取り戻すことができますし、下町の豊かな楽しい水の街づくりができるのではないかと二人で話をしました。今の東京は膨大な人口を抱え込んではいますが、そういうようなことをもう一度考え直していけば、まだまだ良い街になるはずです」
(2008年6月27日付、小野邦久都市再生機構理事長〈当時〉との対談で)
□臨海部の豊洲やお台場…以前、この地区を地下鉄でつないではどうかと提案したことがあります□
「都市環境を考えるとき、地下の空間は非常に重要であります。東京の地図を見ると、臨海部の豊洲やお台場のあたりは地上の橋でつながっていますが、地下ではほとんどつながっていません。以前、この地区を地下鉄でつないではどうかと提案したことがあります。
2016年のオリンピック招致に伴い、晴海のメーン会場、有明の選手村が計画されるならば、現在のゆりかもめや車での交通アクセスでは容量不足ですし、豊洲新市場を中心としたこれから開発されるエリアへの十分な集客力を生み出すためにも新たなマストラが必要です。さらに、勝ちどき駅や豊洲駅は、周辺の業務施設等の建設に伴い、朝の通勤ラッシュでホームがあふれ、対策が急務となっています。この新たな1本の地下鉄は『都市の地下茎』ともいえる生命ラインとなり、地上の新しい都市の発芽を促すものとなるではないかと考え、提案しました」
「日本の地下鉄の地下道の空間は地上との関係が切れてしまっていて、人通りが少ないと怖い道ですね。残念ですが新しい都市をつくる、あるいは新しく都市を再生していくのだという視点はほとんど感じられません。最初にイメージも何もなく、ゾーニング計画から入っていきます。何をもってゾーニングしているのかというと、やっぱり目先のそろばんですよ」
「東京湾に浮かぶ人工の島を『海の森』にしようという計画があります。…例えばの話ですが、霞が関の首都機能をこの島に移し、その跡地を緑にしていけば、都心部で緑がつながっていきますよね」
(2008年5月28日付、尾島俊雄早大名誉教授との対談で)
□持続するものというのはやはり、心なのだということになる□
「われわれ建築家の大先輩、村野藤吾がこんな言葉を残しています。『建築のディテールで大切なものとして私がいつも心がけている点は、触りとかタッチとかというところを気にするのです』。目ではなく、手で触るということを大切にしていたのです。
同じ建築家の白井晟一さんは『掌は人間の身体のうちで心を許される唯一の部分である』と言っている。やっぱり目は出てこないのですね。掌なのです。手は非常に生命的なもの、そこに通い合うものを感じるのですね」
「…とかく造形や表現の世界では目が主役になっていく。視覚ですね。視覚というのはとかく論理的なものを見るのには長(た)けているけれど、その奥に柔らかく沈んでいるものは見えない。奥のものを見るには体や手が必要です。そういう意味で、……持続するものというのはやはり心なのだということになる。
いま東京はどんどん開発が進められています。それも、経済の論理に従ってどんどん変わっていく。そこが何であったかという事実は、何も頭の中に記述されていない。超高層マンション群や事務所群は、せいぜい持続しても30年ほどでしょう。経済の形態ががらりと変わっていく。以前は人々が都市の外へと逃げていって、どうやって引き寄せるかというのが問題であったのに、あっという間に集まって、ビルやマンションが雨後のたけのこのように成長してきますよね。
たしかに『持続性』という言葉は盛んに今使われている。その持続性ということは何かというと、結局は物理的な環境でのことに止まっている。だから空気は汚してはいけない、大気の温度は何とかしなければいけない、それからエネルギーはもっと軽減しなければならない、水もみんなそうだということになる。それらを都市がもういっぺん考え直さなければいけないのです。だけど、市民としての心が消えてしまっている。いま、本当に持続性のある都市になり得るのかどうかと考えてしまいます」
(2009年10月14日付、彫刻家・安田侃氏との対談で)
◇偲ぶ会、6月27日に早大大隈講堂で◇
日本芸術院会員池原義郎名誉教授を偲(しの)ぶ会(代表・中川武早大名誉教授)が27日午後1時、東京都新宿区戸塚町1の104の早大大隈講堂大講堂で開かれる。連絡先は建築学科連絡事務室(電話03・5286・3008)。
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