2021年6月14日月曜日

【駆け出しのころ】高松建設執行役員東京本店設計本部長・河野浩一氏

  ◇新しい環境が成長に◇

 祖父や父親が本業の農業の傍ら大工仕事を行っていたこともあり、建築には幼いころから関心がありました。進学時も建築を専門で学びたいという思いが強かったです。高専時代は、夏休みなどにアルバイトでマンションの建設現場で働き、チームでものを造り上げる楽しさを体感しました。

 就職活動の際、先生から「まだ規模は小さいけど、大阪に面白い会社があるぞ」と紹介されたのが高松建設。これから会社と一緒に自分も成長できるのではと期待感を持ったのを覚えています。

 入社後すぐにマンション現場に配属されました。当時は月1回の新人研修はありましたが、学びの場はOJTがほとんど。杭工事が始まるところから現場に入り、竣工まで約半年の短工期の案件を担当したのは良い経験となりました。厳しい所長でしたが、杭の製品検査など技術者としての仕事を新人ながら任されたのはうれしかったです。

 失敗し叱られることも多々ありましたが、任されることで仕事への責任感が強まり、自分の現場だという愛着も深まりました。基礎コンクリートを打設する前日が豪雨となり、深夜まで水かきと泥の除去を行った時も、自分の仕事や現場に愛着を持っているから苦ではありませんでした。

 サッシの付け直しや配筋写真の撮り忘れなど、深く考えずにやったことがたいてい失敗につながります。現場では叱られながら、深く考えることの大切さを学びました。

 マンション現場を3件ほど経験してから、2年目の終わりごろにオフィスビルの現場で初の所長を任されます。管理職クラスの統括所長が定期的に見回り、サポートしてくれました。現場管理だけでなく、新入社員が下に付いたので、自ら教わってきたことをしっかり伝えようと、人材育成の意識も高まりました。

 その案件の完工後、上司から次はどんな現場に行きたいかを聞かれました。とにかくわが社で一番難しい現場か、規模の大きな現場に行かせてほしいと伝え、担当したのがコーポラティブハウスの現場。主に施工図関係を任されました。一つも同じ住戸タイプがなく、フロアも異なり、施工図を起こしながら設計を最終確認する作業の連続。設計事務所の方々とのミーティングを繰り返す中で、建築をより深く学ばなければと思いました。

 新しい環境が自分の成長につながります。4年の現場勤務の後、5年目に設計部門へ異動。まずプランニングから入り、数カ月ほどで実施設計を任せられました。目の前の業務をこなしながら、一から創り出す設計の面白みを感じました。

 現場の足場が外れた時の感動と顧客が満足してくれた時の喜びが技術者にとってのやりがい。若手には今の場所で全力投球し、次のステップに進むための力を身に付けることの大切さを伝えたいです。

入社5年目ころ、会社のサッカー部員らと
(後列右から2人目が本人)

 (かわの・こういち)1984年八代工業高等専門学校土木建築工学科卒、高松建設入社。設計部長、設計企画部長などを経て、2014年4月から現職。熊本県出身、57歳。

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