◇壁から逃げずチャレンジを◇
ゼネコンで働く父親の姿を見て育ち、小学校の文集に将来の夢は「建築事務所の社長」と書いたのを覚えています。大学の専攻を決める際に建築か土木で迷い、同級生との雑談で「土木は経済を動かす」との言葉に引かれました。
あまのじゃく的な性格もあり、就活時にはみんなが選びそうなところを避けようと考え、土木コンサルタントに関心を持ちました。就職担当の先生の勧めもあり、縁あって当社に入社しました。
入社当時は海外で仕事をしたいという思いが強かったですが、1~2カ月の海外勤務を除けば、会社人生ずっと国内勤務。最初は交通系の土木技術部門の空港課に配属されました。
2年目に羽田空港ターミナルビルのエプロン関係の試験施工を担当。不同沈下に対応した舗装をどうするかが課題となり、当時は設計法も確立されていません。それならばと設計方法を作り、新しいことに取り組むことになりました。新人だから分からなくて当然だろうと開き直っていましたので、苦労よりも面白さを感じながら仕事をしていました。
数年ほど設計業務に携わっていると、現場のことを知らない自分の将来に不安を感じました。とにかく現場に出たいと考え、現地の試験施工などを担当する研究所への異動を嘆願。いろいろありましたが希望が通り、研究所で必要な試験を一通り覚えた後、入社7年目で秋田の大館能代空港の現場に2年間常駐することができました。
空港の建設プロジェクトでは技術委員会が設けられ、学識者や発注者など関係者が事業を技術面から多角的に検証します。さまざまな見方や考え方など、委員会対応を通じて自分も成長できたと思います。
大館能代空港に続いて、福島空港のプロジェクトにも参加。滑走路下の地下道ボックスにかかる設計荷重の問題解決に当たり、大規模な試験施工を行いました。前例のない対策だったため、委員会でのやりとりはかなりハードでした。
空港は出来上がると同じ形に見えますが、さまざまな技術的課題があり、その過程は異なります。一方的な技術の押し売りはやってはいけないこと。相手の意見やニーズをくみ取った上で、こちらの考えを伝えることが大切です。技術委員会では自社を代表して発言するプレッシャーが大きくなり、委員会の前日は緊張して寝られないこともしばしば。大変な場面を乗り越えるうちに、技術者としての自信が深まりました。
デジタル社会の進展で多様な情報に簡単にアクセスできる時代になりましたが、そこにある知識を組み替えて知恵にするのが私たちの商売と言えます。苦労しながら自ら体験しないと、知恵を作るノウハウが身に付きません。若い人には必ずある壁から、逃げずに立ち向かうチャレンジ精神を忘れないでほしいです。
現場担当だった駆け出しのころから四半世紀ぶりに訪れた大館能代空港で |
(ふくおか・ともひさ)1988年東京工業大学大学院総合理工学研究科社会開発工学専攻修了、日本工営入社。社会システム事業部長や基盤技術事業部長などを経て2020年から現職。愛知県出身、58歳。
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