2021年6月7日月曜日

【駆け出しのころ】三機工業取締役専務執行役員CSR推進本部長・工藤正之氏

  ◇やる気と情熱持って楽しむ◇

 大学では蓄熱関係の研究室に入り、先生の勧めもあって三機工業に入社しました。10月に設計部へ本配属されるまでの研修期間は、基本的な知識・技能を学びながら同期との絆も強まりました。研修施設での生活も慣れてくると、夜はみんなで飲み屋に繰り出すこともしばしば。施設管理の方に見つかって怒られたのもいい思い出です。

 駆け出しのころは自動車関係の仕事が多く、先輩に付いて設計に携わりました。3~4年目に担当した自動車の環境試験室は設計から現場施工まで関わりました。超低温や高温多湿など、さまざまな環境を創出する案件はなかなか経験できるものではなく、大変勉強になりました。

 現場所長は厳しい方でしたが、昼間に一生懸命働き、だらだら残業せずにメリハリを付けて仕事するようにと諭されました。さすがに竣工間近などは残業もしましたが、普段は午後5~6時には仕事を終え、飲み屋で英気を養ってから帰宅しました。

 7~11年目に韓国の仕事に携わり、国内での実績を買われたのか、自動車メーカーの環境試験室も任されました。設計後には現地での技術指導のため、韓国に毎月1回、1週間ほど滞在しながらプロジェクトを支援。2歳下の現地エンジニアとの親交も深まり、ホテル代がもったいないからと同じ寮に泊めさせてもらうなど、仕事も遊びも意気投合してやっていました。

 続いて、日系の顧客がフィリピンに工場を建設するプロジェクトを担当し、現地法人の立ち上げから関わりました。その仕事が終わった後の現地での営業が思うようにいかず、苦労しました。コミュニケーションでは、生活のための英語には不自由しなかったのですが、財務や法律関係などテクニカルな英語はまったく分かりません。国民性の違いなどもあり、ローカルスタッフとの意思疎通にも悩みました。

 40代前半に大きな転機を迎えます。設備関係のノウハウを提供して稼ぐファシリティシステム部門に異動。空調など建築設備の設計・工事に関わってきた自分にとっては、まさに第二の駆け出しのころ。当時は金融機関の移転や合併関連のプロジェクトマネジメント業務が多く、こうしたフィービジネスが広がっていく時期でした。

 顧客側のチームと一緒になってプロジェクトを成功に導く仕事に、これまでにない面白みとやりがいを感じました。移転などに関わるため、休日出勤や残業も多かったですが、顧客の担当者から「戦友だ」と言われた時はうれしかったです。

 企業や事業にとって、最後の頼りは人の力。「やる気」と「情熱」を持って動けば周りもサポートしてくれます。若い人たちには、その時々で大変でも逃げずに、楽しく仕事をしてもらいたいです。

入社8年目、自動車用環境実験室の建設時に
技術指導を担当した韓国で(左側が本人)

 (くどう・まさゆき)1985年山形大学大学院精密機械工学専攻修了、三機工業入社。執行役員ファシリティシステム事業部長、常務執行役員建築設備副事業本部長などを経て、2021年4月から現職。山形県出身、61歳。

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