2021年6月17日木曜日

【回転窓】家康と日比谷入江

 徳川家康が豊臣秀吉から江戸への転封を命じられたのは1590年。この命令に家康の家臣たちは激高した。家臣らが江戸で目にしたのは見渡す限りヨシ原の湿地帯と崩れかけた江戸城郭。荒涼とした風景に将来の希望を見いだすことができなかったからだ▼だが家康の考えは違った。関東一帯を歩き回るうちに、ある「宝物」を見つけたと、竹村公太郎氏は著書『日本史の謎は「地形」で解ける』(PHP文庫)で推測する。湿地帯の下に隠れている日本一広大で肥沃(ひよく)な関東平野を見抜いていた▼家康は城郭(現皇居)の目の前に広がる日比谷入江を埋め立てる一方、利根川を太平洋側に流す大規模な河川工事に着手する。埋め立てでできた敷地は大名屋敷などに充て、河川工事で関東平野を乾燥化して膨大な農地を作り出した▼9日付本紙で「(仮称)内幸町一丁目開発計画」の記事を掲載した。帝国ホテルやNTT日比谷ビルなどがある地区を3分割して再開発。2037年度までに総延べ110万平方メートルの施設群を造る▼この辺りはちょうど日比谷入江の海岸線に当たる。400年前の景色はもう想像もできない。

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