2021年11月29日月曜日

【駆け出しのころ】応用地質取締役常務執行役員経営企画本部長・中川渉氏

  ◇データとオリジナリティーが大切◇

 子供の頃に特殊な岩石を集めるのが好きで、地質にも関心があり、大学では火山の研究をしていました。今後の進路を考えた時、経済が成長を続けている時期だったこともあり、研究を続けるよりも学んだことを社会に生かしたいという思いが強かったです。当社が当時掲げていた「地質工学の創造」という経営ビジョンに引かれました。

 入社後は静岡営業所に配属。岩盤(プレート)の動きからさまざまな地学現象を解釈しようとするプレートテクトニクスや津波などで関心の高いエリアだったことから、配属先での業務には研究者という観点も含めて期待していました。

 しかし、そうした思いは初日から改めることに。いきなり手伝うことになった地滑りの現場は、徹夜になりました。1年目は地滑りの変位予測の式に基づき、手計算で懸命に入力し予測していたのを覚えています。

 トンネル関係の業務に携わりたいと思っていた5年目ごろに異動した神戸は当時、NATMの中心地。本州四国連絡橋公団(現本州四国連絡高速道路会社)が道路トンネルにNATMを初導入した「舞子トンネル」は思い出深い案件の一つ。掘削による地山の変位を計測・解析する業務を担当し、現場に張り付く毎日。施工者と一緒になって細心の注意を払いながら作業を進めました。

 新しい計測技術を海外から導入し、国内の現場に展開することが盛んな時期でもありました。日々の業務は大変でしたが、面白さを感じながら仕事をしていました。

 先輩技術者に言われた「自分が取ったデータを信用しろ」という言葉は大切にしています。既にあるデータや決まりごとをうのみにせず、現場に赴き、自分の目で見たものを信じることの大切さを学びました。

 入社12年目、自宅マンションを買った1カ月後に発生した阪神・淡路大震災は、やはり忘れられない出来事です。ひどい惨状の市街地は移動もままならず、混乱を極めた環境下で次々と舞い込む事案に必死に対応していました。

 震災以前は技術士の資格取得にそれほど関心はなかったのですが、非常時では所属する会社・組織に関係なく、資格を持っていれば一人の技術者として信頼してもらえるのだと実感。すぐに受検しました。震災を機に、技術者が社会から必要とされている存在なのだと真に理解できたことも、自分にとって大きな転機となりました。

 やはり自ら行動して経験しないと、技術者の責務は果たせず、自身の成長にもつながりません。若手にはデータと自分のオリジナリティーを大切にするよう伝えています。先入観で事実だと思い込んでいることが実際に本当なのか。自身の感性を尊重しつつ、多角的な目線で物事を判断してもらいたいです。

入社12年目ころ、阪神・淡路大震災から数カ月後の神戸支店で

 (なかがわ・わたる)1984年富山大学大学院理学研究科地球科学専攻修了、応用地質調査事務所(現応用地質)入社。関西支社長、東京支社長、メンテナンス事業部長、経営企画本部長(現任)などを経て、2020年から現職。兵庫県出身、62歳。

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