2021年11月15日月曜日

【駆け出しのころ】日本設計取締役専務執行役員・岡本尚俊氏

  ◇一つ一つ着実に積み重ねる◇

 技術者だった父親の影響もあり兄弟3人ともに理系の道に進みました。私は大学で建築学を専攻し、意匠設計と建築構法の研究室に入りました。将来は組織設計事務所で働こうと思い、いろいろな事務所でアルバイトをしていました。自由でフラットな雰囲気にひかれたこともあって、日本設計に入社しました。

 1カ月の研修後、ゴルフ場のクラブハウスの設計チームに配属されました。当時は「先輩の背中を見て育て」という時代で何も分からず、戸惑いながら図面を引いていたことを覚えています。

 入社1年目の後半に「ハーモニースクエア(中野坂上1丁目地区再開発)」(東京都中野区)を担当することになり、基本計画から基本設計、実施設計、現場監理まですべてに携わりました。竣工したのが入社10年目の時です。担当技師にたくさんのことを教えていただき、建築の仕事を一通り学ぶことができました。

 最も大きかったのは現場で施工図を見ること。図面の見方だけでなく、承認図(承認した施工図)にする3段階の確認のうち、1回目で全部をチェックするといった作法も学びました。工事事務所に常駐して毎週開かれる現場定例に出ていました。工事工程と図面工程から施工図の承認のタイミングが分かるので、施工者からいつまでに図面が出てくる必要があるのかを確認するといった流れもそこで学びました。

 担当技師から構造や設備の図面もすべて見るよう指導を受けました。どういう流れで何が決まっていくのかを見るということです。一つ一つ勉強する、その大切さを学びました。「ハーモニースクエア」を通して学んだ10年間は財産です。建築の基礎を身に付け、一人前になれたと思いました。

 その後も再開発案件が続きました。学生のころはデザイナー志向で建築プロジェクトに携わりたいと思っていたのですが、結果的には都市開発やプロジェクトマネジメントの役割を担うことになってしまいました。

 建築を創り上げることに近道はないし、一足飛びにも進みません。最短距離では行けないということです。進む方向を間違えて後戻りできなくなることもあります。そうならないように一つ一つ着実に積み重ねていくしかありません。そういう点では昔も今も変わりませんが、現在のプロジェクトは規模も大きくなり複雑化しています。

 プロジェクト全体を通しての思いを100%とすると、おそらく95%が苦しいことやつらいことで、残りの5%が充実感だと思います。95%をきちんと経験しなければ、5%の喜びや楽しみは得られないでしょう。そして、プロジェクトが終わると違う景色が見えます。何とかできたという自信が付き、大きな達成感を味わえます。若い人たちには「パッション・アンド・エモーション(情熱と感動)」を忘れず何事にも取り組んでもらいたいです。

入社8年目ころ、中野坂上にある「ハーモニースクエア」の工事現場で

 (おかもと・たかとし)1987年武蔵工業大学(現東京都市大学)大学院工学研究科修了、日本設計入社。2014年執行役員、16年常務執行役員、17年取締役、20年専務執行役員。東京都出身、61歳。

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