2021年11月2日火曜日

【駆け出しのころ】清水建設専務執行役員建築総本部生産技術担当・印藤正裕氏

  ◇ゼロベースの苦労と楽しさ◇

 元々は構造設計をやりたかったのですが、建設業界が「冬の時代」で採用が少ない時期だったこともあり、職種は施工管理で入社しました。配属先の四国支店では2カ月ほど設計部で研修した後、徳島のホテル建設工事を担当します。

 現場で一番大事なのは墨出しと教わり、夜遅くまで残業しながら図面を描いていました。収まりが分からないと図面に線や寸法も描けず、先輩からは「ディテールがすべてだ」と諭されました。

 最初の現場では各フロアの墨出しを正確にできたので、自信を持っていたのですが、2年目に大きな失敗をしました。敷地の周りにフェンスを設置するための測量を任され、コンクリートを打った後にポールの位置を1メートル間違えたことが判明。所長になかなか言い出せず、伝えた時に厳しく怒られなかったことが逆に身に染みました。

 四国勤務は17年。地方の支店では小さな現場を数多く経験できます。短いサイクルで現場に関する一通りのことを学べるほか、協力業者や地域の方々との距離感が近く、支店勤務で得た知見とつながりがさまざまな場面で役立ちました。

 職人をもうけさせてこそ一人前だ--。20代後半から一人で現場を任されるようになり、上司に掛けられた言葉が今も耳に残っています。原価をただ絞るのではなく、より合理的で生産性の高い工法や計画に取り組みながら、無駄をなくして現場全体で適正な利益を確保できるものづくり。あらゆることを考え抜き、プロセスを合理化する生産性向上の取り組みは自分のポリシーになりました。

 愛媛の山奥での中学校建築工事は思い出深い現場の一つ。コンクリートの打ち放しなど、有名建築家が関わる特徴的なデザインで、山の傾斜地に建設する難工事。設計側の若手担当者と収まりなどをとことん詰め、現場では自分もバイブレーターでコンクリートの締め固めを行うなど、施工不良が起きないよう細心の注意を払いました。

 その後、難しい案件が自分に回ってくるようになり、小豆島での巨大観音像の建設も苦労しました。一般的な建築物と異なり、施工方法を一から考えないといけません。当時はデジタル化が入り始めた頃で、3DなどBIMが当たり前の今と環境も違います。複雑な形状・構造の観音像をいかに精度よく、効率的に造り上げるか。難度は高かったですが、ゼロベースで取り組むものづくりの楽しさは大きかったです。

 何でも今やられていることが正しいと思わず、一度すべてを真っさらにして自分ならどうするかを考える。途中から始めるより、ゼロからの方が良くなる伸びしろが大きいと思います。若い人たちには発想の原点となる経験を積み重ねながら、新しいものを創り出す引き出しを増やしてもらいたいです。

入社1年目、研修中の四国支店設計部で

 (いんどう・まさひろ)1979年京都大学工学部建築学科卒、清水建設入社。建築総本部生産技術本部長などを経て2021年から現職(ロボット・ICT開発センター長を兼務)。大阪府出身、65歳。

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