被災地では寮生活を共にした他地域の派遣職員からも刺激を受けた |
◇10年前の土木職員の姿を追って◇
10年前、東日本大震災の被災地を目の当たりにしたことが土木や建築を志すきっかけになった若者は多い。首都圏の地方自治体に勤める土木職員として6年目を迎えた安達佑輔さん(仮名)もその一人だ。
大学で土木系に進んだものの、ずっと念願だった薬学分野への進路変更で悩んでいた当時、ボランティアで被災地に入り津波にのまれた街の姿に息をのんだ。大量のがれきをかき分けるように地元自治体の土木職員が先陣を切って周囲に指示を出していた。その姿を見て迷いは吹っ切れた。
入庁して3年目に被災地の復興を支援する派遣職員として声が掛かった。前任は50代のベテラン職員。経験の浅い自分に務まる仕事なのか不安だったが断る理由はない。派遣先がボランティアで入った街と一緒だったことも背中を押した。
復興事業は終盤に差し掛かり、派遣部署で担当する道路事業は仕上げの段階を迎えていた。被災地では膨大な業務量を限られた人員でこなす。設計から工事監督、関係者との調整まで一連の流れをすべて任された。
最も心を砕いたのは道路整備用地の交渉先となる地権者とのやりとりだ。被災地の復旧・復興には迅速な仕事が求められる。事業期間が長期に及ぶ中、業務内容がうまく引き継がれないことも往々にしてある。派遣職員の出入りが激しく担当者が頻繁に交代するからなおさらだ。土地を借りる際の条件などで「当初の約束と違う」と指摘を受けるケースが続発していた。
真摯(しんし)な対応を心掛け、一人一人とひざを突き合わせ対話した。30分の予定が1時間、2時間にも延びた。話題はいつの間にか被災時の経験に移っていく。津波で親族を亡くした人も多い。個人の記憶は決して風化しない。「被災の話を聞くたびに胸が痛み、同時に身が引き締まる思いがした」。
被災地での2年目は自ら志願した。やり残した仕事、見届けたい仕事があった。山を切り崩し、かさ上げをする復興の現場では「数カ月おきに景色が変わる」。かつてボランティアで訪れたのと同じ場所とは思えないくらいだ。
派遣中だった2019年の台風19号の襲来時は、地元自治体の土木職員の素早い初動対応を間近に見ることができた。地元職員には被災経験者も多く、「土木の仕事が求められている」と身をもって知っている。職員一人一人のモチベーションで事業進捗(しんちょく)に差が生まれることも実感した。
首都圏に戻り、今は都市部で街づくりなどに携わる。被災地から離れた平穏な日常にギャップを感じつつも、復興の現場を経験した自らの役割をはっきりと意識するようになった。そもそも土木を志すきっかけは災害だった。「万が一の時に先陣を切り、率先して仕事ができるようにしたい」。10年前、憧れのまなざしで見つめていた土木職員の姿が胸の中にある。
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