2015年11月16日月曜日

【駆け出しのころ】フジタ取締役常務執行役員営業本部長・浅川正幸氏


 ◇異国で仕事の原点学ぶ◇

 通っていた大学の体育館の建て替え工事を担当していたのがフジタでした。2年生のころ、新しい体育館が完成しました。剣道部だったので本当によく使っていて、厳しい稽古に汗を流した思い出深い場所です。就職活動の時にフジタを紹介され、これもご縁かなと思いました。

 入社式で辞令を受け取り、その日の夜行で九州支店に赴任しました。その後、建築工事の事務担当としていくつもの現場を回っていたのですが、突然、海外勤務を命じられました。場所はイラクのバグダッド。市内の下水道工事を受注したのです。海外の仕事が急速に伸びていたころで、即戦力が求められていたのだと思います。赴任前の合宿では、日本語を一切使わずに1カ月の間、生活しました。「単語一つで気持ちは伝わる」ということを学び、バグダッドへ向かいました。

 現地では、日本をはじめ中国やフィリピン、タイなど多くの国から資材と労務が供給されていました。経理を担当していましたが、現場で働く人たちのコミュニケーションを図るのが仕事でした。日本人は100人ぐらいで、うち当社の職員が50~60人。日本人向けに住まいや食事などを計画するのですが、最初はうまくいかず、失敗しながら覚えるという感じでした。ストレス解消のためにテニスコートを設けたり、日本の食事や飲み物を用意したり。正月には、おせち料理に近いものを用意したこともあります。

 こうしたことができたのも、現地での信頼関係、人間関係がきちんと築けたからだと思います。失敗して困っている時、後ろからカバーしてくれる。そんな関係がなければ、早く帰国したいと悩んだことでしょう。信頼を築くには長い時間がかかりますが、それを壊すのは一瞬です。バグダッドで仕事をした3年半の間に、「人との関わり」と「社内のまとまり」の大切さを勉強したように思います。この二つは、私の仕事に対する原点となっています。

 バグダッドで共に過ごした仲間たちとは「バグダッド下水OB会」という同窓会をつくり、今でも年に一度集まるのを楽しみにしています。

 帰国後、建築営業を希望しました。新しい業務ということもあり、初めのころは本当に苦労しましたが、失敗しても必ず自分の身になると常に前向きな気持ちでいました。チャンスはいっぱいありますが、それに気付くには運がなくてはいけないとも思います。

 最も大事なことは、顧客から必要とされる会社になること。それには顧客のニーズをきちんと捉え、的確な提案をしていかなくてはなりません。顧客と共に、また顧客を巻き込みながら仕事のできる、そんな営業マンを育てていきたいと思っています。

 (あさかわ・まさゆき)1979年東京国際大学商学部卒、フジタ工業(現フジタ)入社。関東支店茨城営業所長、関東支店営業部長、東京支店副支店長、営業本部営業統括部長、執行役員営業本部副本部長などを経て15年4月から現職。長野県出身、58歳。

3年半赴任したイラク・バグダッド市での一枚(右が本人)
同期入社の数田明広氏(管理本部総務部)と


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