2017年3月6日月曜日

【駆け出しのころ】東鉄工業執行役員環境本部長・加藤裕明氏

 ◇困難に直面しても逃げない◇

 建築設計を志望していましたが、入社して仙台支店の配属となり、岩手・釜石でトンネルの換気所建設工事に携わりました。東京の親元を離れて暮らすのは初めてだったため、最初は不安もありました。しかし、下宿していた家のおばちゃんや中学生ぐらいだった息子さんたちが皆いい人で、仲良くさせていただきました。食べ物もおいしく、初めてホヤを食べたのもこの頃です。

 次にこの換気所とトンネルをつなぐRC造のダクト工事も担当しました。建築の工事でしたが、下に小さな川が流れ、そこにある大きな石を発破で砕くなど、ほとんど土木工事
のようでした。所長も建築の方でしたので苦労されたと思います。ここでは測量のトランシットを斜面に据え付けるのがなかなかうまくいかず、一日の仕事を終えてから事務所で先輩によく教えてもらっていました。

 入社したのは就職するのが厳しい時代でしたが、東鉄工業では建築だけでも十数人が入りました。このうち、入社してすぐ地方に行ったのは私を含めて二人だけで、他の同期はほとんどが東京でした。しかも、そうした同期たちは地方と比べて規模の大きい現場を担当していたため、私が仙台から東京に異動した時はカルチャーショックのようなものを覚えました。

 でも、JV施工で病院建築を担当したことが大きな転機となります。当時、私たちの会社では経験していなかった内容の工事であり、ここで私は仕事を覚え、自信も付きました。他社の同年代とも交流でき、大変に良い経験となりました。同年代の人たちと普段、どんなことを話していたのか詳しく覚えていませんが、海外で仕事をしていたという人が多く来ていて、そうした話は面白かったと記憶しています。

 これ以降は主にマンション建築工事を担当してきました。マンション建築に携わると、基礎から内装の仕上げなどまで建築の技術的なことを一通りやるので勉強になります。人が毎日接する住まいづくりであり、誰にでもできるというものではないと思っています。

 現場で間違えたことというのは印象に残りますし、どうしようかと夜も眠れなかった経験は、現場を担当したことのある人なら誰もが持っているのではないでしょうか。安全に品質の良い仕事をして利益を出す。この三つをどう実現するかが、現場の担当者には求められています。

 問題が起きたり、困難に直面したりした時には逃げない。そして電話などではなく、できるだけ顔を合わせて話すように心掛ける。これからも若い人たちにはこういったことを言っていきたいと思っています。

 (かとう・ひろあき)1976年明治大工学部建築学科卒、東鉄工業入社。建築支店積算部次長、同工事管理部次長、同工事管理部長、同第2工事部長、東京建築支店建築部長、建築本部建築企画部長、執行役員八王子支店長などを経て、2016年6月から現職。東京都出身、64歳。

20代の頃に旅行先で撮影した一枚

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