2018年9月3日月曜日

【駆け出しのころ】不動テトラ取締役常務執行役員土木事業本部長・細坂晋一郎氏

 ◇自ら設定した目標へ一歩ずつ◇

 大学の研究室で海岸工学を学び、日本テトラポッド(現不動テトラ)に入社したのは昭和54(1979)年です。当時の会社は、型枠の賃貸とブロックの製作・据え付け工事を主な業容としていましたが、港湾工事分野への本格的な進出を模索しているころでした。

 初任地が新潟支店と決まり、1週間程度の研修を終えた後、上野駅から特急「とき」に乗り新潟へ向かいました。赴任した支店から新潟営業所へ異動となり、防波堤の改良工事をしていた新潟東港作業所に配属されました。

 作業所長は秋田出身で方言はきつかったのですが、仕事熱心で部下の面倒見も良く公私ともに大変お世話になりました。また、そこでは前年入社の先輩に施工管理の基礎を教わりました。

 それから間もなく新潟空港の拡張工事が始まり、私が施工管理を担当することになりました。まだまだ基本的なことが分かっていなかったため、現場ではよく怒られましたが、役所や関係会社の方々、上司、同僚のおかげもあって仕事は順調に進み、私自身も伸び伸び育つことができたのではないかと思います。

 新潟で現場監督を務めながら、3年目には港内に停泊している船舶の冬季風浪による挙動を把握する船舶動揺調査に携わりました。4年目の冬には本社でテトラポッドの設計要領の改定に伴う、社内の技術者向けのマニュアル作りにも参加させていただきました。

 上司の新潟営業所長は厳しい方でしたが、技術者の育成には思うところがあったようです。当時、北海道や東北、北陸の現場で働く監督員たちは、工事の減る冬期間には関東以西や太平洋側の現場へ応援に行くのですが、私は茨城県土浦市にある応用水理研究所(現総合技術研究所)や本社の技術部に行くよう指示されました。営業所長が私を工事屋だけでなく技術屋としても育てるため、そのように図ってくれたのだと思います。

 5年目の春、昭和58(1983)年5月26日の昼に東港作業所で強い揺れを感じ、あわてて事務所から飛び出しました。秋田県能代市西方沖を震源とする日本海中部沖地震による揺れでした。この後すぐに秋田営業所への応援を指示され、翌年には異動となりましたが、ここから本格的な工事屋としてのキャリアを積んでいくことになります。

 若い人たちには楽しく仕事をしていってほしいと思います。今は私たち世代のように怒られて育っていく時代ではなく、育てる側にも若手の意欲向上につながる指導をしていく必要があります。会社に入り長く働いていくことを考えると、各人がある程度の人生設計を描けるでしょう。なかなか思い通りにはいきませんが、その都度目標を設定しスキルアップを心掛けながら一歩ずつ着実に歩んでいくよう期待します。

 (ほそさか・しんいちろう)1979年東海大海洋学部海洋土木工学科卒、日本テトラポッド(現不動テトラ)入社。東京本店副本店長、同横浜支店長、執行役員東北支店長などを経て、2018年6月から現職。東京都出身、62歳。

新潟には入社から5年ほど勤務した
(右側が本人)

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