2018年11月19日月曜日

【駆け出しのころ】みらい建設工業執行役員施工本部副本部長・久野木哲也氏

 ◇ステップアップへの努力を◇

 三井不動産建設(現みらい建設工業)に入社したのは1981(昭和56)年で、就職難の時代がようやく終わり、各社が採用人数を増やし始めた頃であったと思います。就職試験の面接の中で突然、「相撲を取れますか?」と質問されました。当時は三井不動産グループの運動会に相撲があったようで、質問にはびっくりしましたが、「明るい雰囲気の会社だな」と感じたのを覚えています。

 箱根の研修施設で新入社員研修を受けた後、中部支店に配属となり、名古屋港の現場に赴任しました。学生の頃は映画のように、現場に出たらネクタイを締め、図面を脇に抱えて、いろいろと指示している格好いい自分の姿を思い描いていましたが、現実の仕事は測量や丁張り設置などが中心で、イメージとはかなり違ったものでした。ただ、現場や寮ではいい先輩たちに恵まれ、仕事も遊びも充実した、楽しい新人時代を過ごさせていただきました。

 20代半ばに担当した漁港工事でのことです。漁船を岸壁から海に降ろすためのレールをスロープに設置したのですが、竣工検査の時に漁船を載せる台車が途中で「コットン」と止まってしまうのです。後で調べると、設計とは違う長さのボルトでレールをつないでいたのが原因と分かるのですが、検査中に何度やっても止まってしまい、これには焦りました。この日のことを知っている先輩たちからはしばらくの間、「コットン事件」と言ってからかわれました。細かな点までチェックしなかったミスでした。

 30代、40代はほとんどの期間、高速道路の工事に従事しました。自分でいろいろと施工計画を考え、発注者や協力業者との調整に当たることができる年代になっていたこともあり、今振り返っても最高に充実した時期でありました。

 そんな中、1人の所長からは大きな影響を受けました。仕事に対する指導が非常に厳しく、私は怒られてばかりの日々。時には意見が合わずにぶつかり合い、「もう二度と同じ現場では働きたくない」と思ったこともありました。しかし、後で考えると、現場のことは何でも知っておられ、意見が対立して嫌われても、自分が正しいと思うことははっきり伝えるという姿勢は現場を預かる者として大切なことであると思いました。後に自分が主任、所長の立場となり、この方から教えてもらったことの大きさを実感したものです。

 私たちが仕事を教えてもらった時代とは違い、今は若い人たちを「褒めて育てる」と言われます。でも、ワンステップ上がる時にはそれぞれが苦しい思いをしながらも努力することが必要で、これは建設業に限ったことではないでしょう。新入社員が経験を積んでどんどん成長していく姿は頼もしく、どんな場面でもしっかりとした土木の知識で判断できる技術者に育ってほしいと思います。

 (くのぎ・てつや)1981年法政大学工学部土木工学科卒、三井不動産建設(現みらい建設工業)入社。本社、横浜支店、関西支店、中部支店で下水道工事や港湾工事、高速道路工事などに従事。中部支店工事部長などを経て、17年4月から現職。東京都出身、60歳。

高速道路工事の竣工を記念して
(後列右から2人目が本人)

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