◇先輩の声を励みに乗り越える◇
入社して最初に配属されたのは新潟支店で、刈谷田川ダム(長岡市)の建設現場に赴任しました。私たちの会社が担当していたのはダムの基礎工事だったのですが、ダム本体がどう造られていくのかに興味があり、仕事の合間を縫って堤体コンクリートの打設やトンネルの測量作業などを見に行っていました。
ここでは現場の宿舎で寝泊まりし、週末には市内の寮に帰るという生活でした。一日の仕事が終わると、宿舎で皆が輪になって話しながら酒をよく飲んだものです。つまみの定番は、私たち若手が車で山を下りて買ってくる栃尾の油揚げで、今でもあのうまさは忘れられません。施工班には狩猟の免許を持った職人さんもいて、その方が射止めた熊の肉で鍋をつくって食べたこともありました。
休日は寮にいる同僚たちとテニスをして過ごしたのもいい思い出になっています。豪雪地帯にあるダムのため、11月ごろから翌年4月ごろまでの現場が閉鎖される冬の間は、他現場の応援に行っていました。
3年目に九州支店へ異動となります。ここでもダムの基礎工事を担当するよう言われたのですが、自分から上司に「構造物を造らせてほしい」とお願いし、下水道工事を担当させていただきました。
初めて責任者として現場を任せられたのは20代後半です。部下と2人で運営しなければならない現場で、施工中に不具合が続いてかなり悩んでいた時期がありました。この頃、現場の近くにちょうど出張で来た父親と食事し、「サラリーマンなのに何でこんなに悩まなくてはいけないのか」と愚痴をこぼしてしまったことがあります。
でも、どんなに厳しくても「終わらない仕事はない」という先輩から聞いた言葉を励みに何とか乗り越えることができました。こうしたことは私だけの話ではなく、誰もが悩み苦労しながら一人前になっていくのだと思います。
これまでに広島、大阪の支店長を計11年ほど務めてきました。若いころのことはもちろんですが、そうした50歳を過ぎてからの支店長時代に経験できたことは貴重な財産となっています。心掛けてきたのは自分から声を掛け、相手が何を考えているのかを聞くことです。部署間で意見が違ったとしても積極的に話し合い、最終的には同じベクトルを持って進むことも大切です。
若い人たちには仕事が好きになってほしいと思います。仕事が好きでなかったり、仕事に何らかの不満があったりすると、当然に面白くもなく、持っている力のすべてを発揮することはできません。皆が力を出せるようにしていくのが私たちの役割であります。
(なかむた・けんご)1978年法政大工学部土木工学科卒、日特建設入社。九州支店工事部長、同営業部長、広島支店副支店長、執行役員広島支店長、常務執行役員大阪支店長、同事業本部長などを経て、17年6月から現職。佐賀県出身、64歳。
入社3年目。休憩中の現場事務所での1枚 |
0 comments :
コメントを投稿