南アルプスの山岳地帯から静岡県内に流れ込む大井川。古くは駿河と遠江の国境(くにざかい)とされ、今でも県の中・西部を分けている。川で分断された対岸の地域間交流は必然的に薄まり、その結果、隣り合いながらも人々の言葉遣いや気質などが異なって独自の文化や風習が育まれてきた▼静岡県民には中部が東京側、西部は名古屋側に属するようなイメージを持つ人も少なくないようだ。20代半ばまで県の中部で過ごした経験からすると、何かと中・西部を比較したり、区別したりするなど、対抗意識を持っていたように思われる▼地域を長年分け隔ててきた大井川は、江戸時代に西国からの防衛などのため、幕府が架橋や渡し船を禁じた。「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」とうたわれるほど、東海道屈指の難所だった▼明治時代に入ると橋が架かり、上流部にはダムが建設された。周辺流域に治水・利水といった恩恵をもたらす一方、河水枯渇や水利権を巡る問題も▼現在、リニア中央新幹線の整備に伴う大井川への影響を巡り、地元と事業者側が反目し合う。過去のいざこざを水に流し、どうか未来志向の歩み寄りを。
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