◇何事にも自然体で頑張る◇
高校時代に所属していたボート部では地元の瀬戸内海で練習し、試合はダム湖で行われていました。普段から何げなく土木構造物に接していたこともあってか、大学では土木を勉強しました。複数の会社の中から選んで入社した日本テトラポッド(現不動テトラ)ですが、思い返せば練習の合間の休憩時にボートを係留していたのがテトラポッドでした。
入社1年目の赴任地は静岡の遠州作業所。宿舎も併設されていましたが、きれいな部屋とはとても言えません。浴室は作業員と一緒で、プライベートはほとんどなかったです。
2年目に秋田へ異動した後は、港湾施設の築造工事などを担当してきました。7、8年目の時に担当した福井県の茱崎漁港災害復旧工事は思い出深い現場の一つ。冬季の波浪で滑動・スライドした防波堤のケーソン復旧は当時、全国的にも珍しい工事でした。
その工事を地元企業と受注し、所長として担当しましたが、どのような施工方法が最適なのか分からない。早期復旧への地元からの要望も強く、発注者や工事業者など関係者の協力を得ながら、短期間で無事完了させることができました。
別の港湾工事ではケーソンを据え付ける直前にトラブルが生じたことがありました。ケーソンが目の前に来ている状況で、対応策を素早く考えて急場をしのぎました。時間がない中で無事に作業を完了することができましたが、肝を冷やしたことを今でも覚えています。
現場では多くのことを学びました。入社後の現場経験が、その後の営業職に生かされました。現場とは違ったしんどさもありますが、仕事を取る面白さは格別です。その地域で強いとされる企業の間隙(かんげき)を縫い、受注の成功・失敗に一喜一憂しながら頑張ってきました。
建設業で働く人たちの思いなど、そうしたつながりを意気に感じて仕事をしてきました。これまでの会社人生で辛いことや失敗もありましたが、辞めようと思ったことは一度もありません。合併も結果として良かったと思います。陸上土木などを含めこれまで以上に市場が広がり、より幅広い仕事ができるようになったことで、営業や現場のやりがいも増します。
60代半ばとなり、目の前の数字に振り回されず、与えられた職務を全うする。根腐れせず、上手に枯れていく。現状を受け入れて頑張るだけ。将来どうなるかは、人も企業も社会も分からない。若い人たちにはおごらず、めげず、何事も自然体で頑張ってほしいです。
入社1年目。初めての赴任地で |
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