◇厳しい中でも「こだわり」を学ぶ◇
高校生の頃に生活と密着した衣食住のいずれかに関わる仕事がしたいと考えるようになり、中でも「住むところが一番かな」と建築の道に進みました。
入社した当時はオイルショックの影響がまだ残り、就職状況は厳しかったと記憶しています。最初に配属された現場は自動車の製作工場で、営繕・リニューアル工事を行っていました。まずは先輩や協力会社の方がやっていることをしっかり見て覚えるという日々でした。
ここでは、新人でしたが図面も描かせてもらいました。先輩にやっと描いた図面を見てもらおうと持って行くと、「あっ」と思った時には既に赤ペンで修正が入れられ、また一から描き直しでした。原図をそのまま見てもらったためで、本来は青焼きした図面を持っていかなければいけなかったのです。でも、そうやって図面を描いていると寸法が頭に入り、職人さんへの説明もスムーズに行えるようになっていきました。
入社2年目には、公団住宅の建設に着工時から携わります。数量を拾うことなども含めて一通りのことをやらせてもらい、その後につながる大きな経験となりました。30代半ばに担当した現場も自分を成長させてくれました。大手デベロッパーから発注された事務所ビルの建築工事で、厳しい現場でしたが、良いものを造るためのこだわりを学ぶことができました。
若い頃は現場で走り回っていました。しかし、年数を経ていくうちにデスクワークが増え、どうしても現場に出られる時間が限られるようになっていきます。そんな時、協力業者の方々が現場のことを「あのままでいいのか」などと教えに来てくれるのは大変にありがたく、そうした方々のサポートがあったからこそ、これまでやってこられました。
現場では皆が一体となって良いものを造り、お客さまに引き渡す。これが基本です。現場の安全確保でも、「自分の家族が来ても大丈夫なようにしておけば、けがなんてしない」とよく言ってきました。朝は職人さんに「おはよう」とあいさつし、帰る時には「お疲れさま。あすも頼むね」と声を掛ける。そういった触れ合いを繰り返していると、職人さんから話し掛けてくれるようになりますし、自分の知識や経験では足りないことをいろいろ教えてもくれます。
ミスは避けなければいけませんが、かといって上の者があまり多くをやってあげると、若い人はそこにいたけれど仕事を覚えない、ということになります。その線引きが非常に難しいのですが、自分も多くのことを経験させてもらってきたように、若い人たちにもいろいろなことを経験してもらいたいと思っています。
(くろやなぎ・たつや)1979年東海大工学部建築学科卒、三菱建設(現ピーエス三菱)入社。東京建築支店建築統括部工事第三部長、同支店建築工事部長、執行役員東京建築支店長、常務執行役員建築本部長などを経て、16年6月から現職。東京都出身、60歳。
30歳くらいの頃、都内の建築工事現場事務所で |
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