2017年7月19日水曜日

【回転窓】トンネル人生でうれしかったこと

 「こんなところで仕事ができるのか」。1956年4月に黒部川第四発電所工事の大町トンネル(現関電トンネル)建設予定地を初めて調査に訪れた時、熊谷組の下請として施工に携わった笹島建設の笹島信義会長はそう思ったという▼大町トンネルの施工は難航を極めた。大量の湧水を伴う破砕帯に遭遇。これを突破するための苦闘は半年に及んだ。後に黒四プロジェクトを描いた映画『黒部の太陽』で主人公のモデルにもなった笹島氏が1日、99歳で他界した▼26歳で土建業に従事。長年、トンネル工事を通じて日本の基盤整備に貢献してきた人である。今から9年前のインタビューで、トンネル人生でうれしかった出来事に大町トンネルの貫通と破砕帯遭遇時に一人も犠牲者を出さなかったことを挙げていたのを思い出す▼10日に東京都内で行われた告別式では、熊谷組の大田弘相談役が「あなたの偉かったところは、日本のトンネル工事に大きな足跡を残したことよりも人としての生き方を示したことだった」と遺影に語り掛けた。弔辞からもその人柄がよくうかがえる▼あす20日には故郷・富山でお別れ会が開かれる。

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