2017年7月10日月曜日

【中堅世代】それぞれの建設業・173

どんな仕事でも大切なのは「現場感覚」
 ◇逃げない、全部受け止める◇

 東京・霞が関の中央官庁で事務系の課長として働く林太郎さん(仮名)。日本中が好景気に浮かれたバブルの真っただ中で大学時代を過ごした。売り手市場だった就職活動で、好待遇の民間企業ではなく役所を志したのは、「公務員として人のためになることをやれ」という両親からの強い勧めがあったからだ。

 役所に入ってからこれまで、同期入省組の中で他の府省庁などへの出向が圧倒的に多かった。欧州への留学も経験した。「霞が関の中でも珍しい経歴だと思う。役人として貴重な経験をたくさん積み重ねてこられた」と振り返る。

 これまでの公務員生活で最大のターニングポイントは?。そういう質問をいろいろな人からよく受ける。答えは決まっている。防災担当の課長級ポストに就いていた2011年3月11日。「東日本大震災への対応に尽きる」。

 地震発生から約6時間後の午後9時過ぎ。東京から自衛隊のヘリコプターに乗って被災地に移動。ある県庁の庁舎に入って知事から状況を聞き、その後、県庁に置かれた政府の現地災害対策本部に缶詰め状態となったまま、国と地元の調整役として救援活動や応急復旧などの対応に不眠不休で当たった。

 現地入りから数週間後、ようやく被害が大きかった現場に直接出向いて状況確認などができるようになった。その頃、公務員として仕事に取り組む今のスタンスを確立させた出来事に遭遇した。

 ある集落の避難所を訪ねた時のことだ。政府の防災服を着ていたため、避難者には政府職員だとすぐに分かったらしい。「今頃になって何をしに来たのか」。厳しい言葉を浴びせられた。東京に家族を残したまま、被災者のために身を粉にして働いてきたつもりだったが…。

 避難所に身を寄せる多くの住民は、家族や住まいを失い、絶望と不安、ぶつけどころのない怒りを抱えている。そんな信じられないような現実を目の当たりにした。「ある瞬間から、全部受け止めようというか、逃げないことに決めた。そうすると、大抵のことは平気になった。そうしたスタンスで住民に接すると、少しずつこちらの話を聞いてくれたり、逆に向こうから話してくれたりするようになった」。

 被災地には8月のお盆休み前までいた。経験から学んだのは「現場感覚」の大切さ。「今の自分の原点になっている」。

 若い頃から尊敬している先輩の外交官が、仕事の極意を「明鏡止水」という四字熟語でよく説明してくれた。心を研ぎ澄ませ、誠心誠意で仕事に取り組む。そんな姿勢を大切にしたいと考えている。

 公務員生活は慣例通りなら残り10年ほど。今の目標は「日本が誇る質の高いインフラの輸出を通じて世界各国に貢献していくこと」という。そのためにできることは何か。被災地で学んだ現場感覚を大切にしながら、模索を続けている。

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