2018年8月6日月曜日

【駆け出しのころ】川田工業執行役員鋼構造事業部技術部長・街道浩氏

 ◇大切なのはやり始めること◇

 入社して最初に配属されたのは、本社ではなく、橋梁の設計を手掛けていた埼玉県越谷市にあった事務所でした。今の自分があるのはこの部署でたたき上げられたおかげだと思っています。

 私たちはちょうどパソコンが普及し始めた第一世代に当たり、大学院での道路構造物の疲労亀裂に関する研究にも活用していました。ところが入社当時の会社はまだ設計も手計算で行っていた時代で、表計算ソフトを使って先輩から怒られたこともありました。そんな中で私は「自分の手で」という指導に従いつつ、同時にパソコンでも構造計算などを行うようにしていました。

 やり過ぎだと思われるほどやっているうちにだんだんと認めていただけるようになりました。でも、設計の仕事というのは頭だけでなく、手を動かして覚えることが多いのも事実です。新人のころに教えられたことは貴重な経験となりました。

 高速道路の床版補修や斜張橋の設計を手掛けた後、入社3年目に東京港連絡橋(現レインボーブリッジ)の補鋼桁の設計に携わりました。会社には設計だけでなくそのまま現場も担当させてほしいとお願いしたのですが、次も新設橋の設計を担当することになりました。しかし、どうしても現場を担当したく、会社にまた志願したところこれが受け入れられ、自ら設計した物件の現場に初めて携わることができました。この時のうれしかった気持ちは忘れられません。

 これまでの社歴を振り返ると、ほぼ10年ごとに業務の内容が少しずつ変わってきました。最初の10年は設計、続く10年は設計に加えて合成床版などの製品開発、そして次の10年は既存構造物の調査・点検、診断といった維持管理にも関わりました。自分の性格にはこうやって中期的に仕事の内容が変わっていくのがうまく合ったからこそ、これまでやってこられたのだと思います。

 私が30歳のころから心掛けてきたのは、何か新しい仕事に取り組むときは事前にうろうろせず、すぐに取り掛かるということです。スイスの文筆家カール・ヒルティが残した名言の受け売りですが、やり始めることで初めて分かるものがあります。働き方改革で労働時間を短縮していく上でも、先進技術を駆使して業務の効率化を図るだけでなく、こうした先人の知恵に学ぶところも大きいと思っています。これからも会社の後輩たちに話していきたいことでもあります。

 先日、テレビで放送された日本映画を何げなく見ていて感動したことがありました。新人時代に設計に携わった斜張橋がエンディングシーンの舞台になっていたのです。久しぶりに私たちが造った橋と会え、当時のことがいろいろ思い出されました。

 (かいどう・ひろし)1987年武蔵工大(現東京都市大)大学院工学研究科修了、川田工業入社。技術本部技術部、橋梁事業部大阪技術部次長、鋼構造事業部技術部部長などを経て、18年現職。金沢市出身、57歳。

社内で開いた業務改善発表会の表彰式でスピーチした時

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