◇50人にヒアリング、震災の教訓全国に◇
東日本大震災をきっかけに社内有志で始めた日建設計ボランティア部が、新たな展開を進めている。これまで続けてきた東北での活動に加え、4月に発生した熊本地震の被災地への支援も始めた。日々の備えが足りなかった-。被災者との対話を重ねる中で得た気付きから、部員たちがたどり着いた一つの解が、防災に役立つ情報を提供する冊子「防災ヒントブック」の作成だった。東日本大震災から5年間の蓄積に熊本での経験が混ざり合い、全国に発信するメディアに凝縮した。
10月29日、約2万人の観衆を集めた復興コンサートで「防災ヒントブック」が初披露された。会場となった熊本城二の丸広場では、ボランティア部のメンバーや熊本市内のプロジェクトに携わる設計部員らが約3000部を配布。内容がステージでも紹介され、大反響だったという。
「表紙のくまモンに引かれて子どもたちが手に取ってくれ、それを見た大人も興味を持ってくれたようです」と部員の梅中美緒さん。イラストを中心とした分かりやすい構成が好評で、地域や社内で配布したいと話す地元企業の関係者もいたようだ。
地震発生からわずか半年余りで発行にこぎ着けた。ボランティア部で岩手県の釜石や山田を中心に活動するチームのメンバーである梅中さんや柄澤薫冬さんらは、地震発生直後から熊本を訪問。同社の九州オフィスと連携して後方支援を続ける中、何ができるかを模索する日々だったという。
ヒントブックの構想は4月末、ボランティア部の活動と同社が手掛ける熊本市内の再開発プロジェクトが交差して生まれた。桜町地区第1種市街地再開発事業は、バスターミナルと市のホール、商業施設、ホテルなどを備える延べ約16万平方メートルの官民複合施設計画。設計部長の杉山俊一さんが熊本市や市のMICEアンバサダーを務める音楽プロデューサー今野多久郎さんと今後について話し合う中で、エンターテインメントをメディアにした防災の情報発信を提案した。
熊本県八代市の実家が被災した杉山さんは、「われわれは東日本大震災で多くを学んだはずなのに、いざ地震が来てみるとその教訓が伝わっていなかったことが分かりました」と悔しさをにじませる。大きな発信力を持つ音楽コンサートの場を利用して熊本の体験を全国に伝えようと構想が動きだした。
杉山さんから連絡を受けた梅中さんらは、被災者のインタビューを開始。メンバー9人で週末ごとに現地に入り、約1カ月で50人に話を聞いた。冊子では体験談を凝縮して架空の人物4人のストーリーを漫画で表現している。
イラストは梅中さんが描き、全体の編集を柄澤さんが担当した。柄澤さんは「マニュアル的なものが多いこれまでの防災ハンドブックとは違い、分かりやすく共感できる漫画から各ページがスタートしています。詳しい説明がその後に続いており、下に向かって内容が深化する構成です」と説明する。「毎週メンバーが集まって試行錯誤しながら作り上げました。でも一番苦労したのはくまモンの使用許諾を取ることだったかもしれません」と梅中さんは笑う。
一方、杉山さんは印刷のための資金集めと発信の場探しを担当。再開発の主体組織である九州産業交通ホールディングスの協賛が得られることになったほか、ミュージシャンの浜崎貴司さんや斎藤和義さんが出演し、今野さんと大西一史市長もゲストとして参加する復興ライブ「GACHIスペシャルin熊本城」でヒントブックを配布することが決まった。
大西市長は自らもドラムをたたき、音楽の持つ力の大きさを知る一人として、再開発施設の中に設置される「(仮称)熊本城ホール」に大きな期待を寄せているという。施設は地震後の計画変更で帰宅困難者の受け入れなど防災機能の強化が決まった。杉山さんは、桜町地区と街と一体で計画されているお城に続く「シンボルプロムナード」がともに復興の歩みを刻む熊本の中心となることを望んでいる。
東日本大震災から現在までを「建築家の職能とは何かを問い続け、ぼうぜんとした5年間」と表現する梅中さんにとって、熊本は一つの確信が得られた機会だった。
「熊本のような直下型地震では、安全・安心を求める声に建築家として応えられることが分かりました。これから私たちにできることは、ここで学んだことをほかの地域に転用すること、防災のヒントを全国に伝えることだと思います」
ボランティア部では、ヒントブックを配布、発信してくれる団体や企業を広く募る。冊子はホームページからダウンロードすることもできる。
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