2016年11月7日月曜日

【駆け出しのころ】西松建設常務執行役員西日本支社長・酒井祥三氏

 ◇常にスペシャリストを目指す◇

 入社して最初に配属されたのは京都市内の建築現場です。大学の校舎と礼拝堂を建設する工事で、ちょうど10歳上の先輩が私の教育係を務めて下さりました。

 基礎地中梁が出来上がり、埋め戻しをしていた時のことです。施工管理をしていると、通り掛かった所長から「酒井君、これでいいのか。学校ではどう習った?」と聞かれました。たまたま埋め戻した土の中に石のかたまりのようなものがいくつかあったためで、「よくないと思います」などと答えると、「取り除くよう指示しないと駄目じゃないか」と優しい口調で言っていただきました。

 夕方に事務所へ帰ると、「貴様は何を教えているんだ」といった大きな声が聞こえました。所長が教育係の先輩をめちゃくちゃに怒っているのです。最初は何があったのだろうと思っていましたが、すぐに自分のことで怒られているのだと分かりました。その夜、今度は居酒屋で私が先輩にさんざん怒られ、良い教訓になりました。

 職長に認められる人間にならなければ、この世界では生きていけない。そのことが入社して1カ月ぐらいで分かりました。どうすれば信頼してもらえるのか。最初の3年ほどはそればかり頭にありました。

 自分で引き受けたことが結果としてできなくても、そのために汗をかいたことが見えれば大抵の人は理解してくれます。最初から「駄目です」と断ってしまうのと、やってみて駄目だったのとでは大きな違いがあります。新人時代は分からないことばかりでしたが、とにかくまず受けて、できなかったら謝ろうという考えで仕事をしていました。

 私は会社で、仕事を覚えて現場の長になることを自分の到達点としてイメージしていました。決められた工程と予算を守り、お客さんへの対応も含めて運営にほころびがないようにするのが役割と考え、実際にいくつかの現場を任された時もそうしたマネジメントに重点を置いてきました。マネジメントはもちろん欠かせませんが、自分のことを振り返ると、技術面でいろいろな可能性を検討して工夫するなど、技術者としてスペシャリストの部分をもっと磨いてくるべきだったと思っています。

 建設業は非製造業に分類されます。しかし、現場では間違いなくもの造りをしています。その現場力のために、技術者は常にスペシャリストを目指していくべきです。今は原石でも、技術力を磨いている人たちがいずれはダイヤモンドとなり、会社の現場力がより高まることに期待しています。

 (さかい・しょうぞう)1983年神戸大工学部建築学科卒、西松建設入社。関西支店建築部長、西日本支社建築部長、同副支社長、執行役員建築事業本部副本部長兼建築事業企画部長兼建築部長などを経て、16年4月から現職。島根県出身、56歳。

30代はじめの頃、会社の懇親会を終えて帰る電車の中で(右端が本人)

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