2017年10月30日月曜日

【駆け出しのころ】武山興業専務執行役員・武山利子氏

 ◇内助の功で起業支える◇

 東京都板橋区に生まれ育ち、地元の都立商業高校在学中に、都内の重機会社で修行中の武山徳蔵氏(現武山興業会長)と出会いました。高校卒業後、大手乾物専門店に就職しましたが、結婚のために1年ほどで退職し、地元に戻って起業するという徳蔵氏に連れ添う形で、宮城県北上町(現石巻市北上町)に引っ越してきました。

 移り住んでから1976年に武山興業を創業するまでの約1年間、地元の建築会社の事務職や製造業の従業員を経験し、そこで事務に加えて図面作成や現場の経験をしました。地域住民との間にある「方言」という言葉の壁に戸惑い、地方特有の「地域性」にもなかなかなじめず、苦労しましたが、「絶対にここで一旗揚げてやる」の一心で打ち込みました。

 創業当時は運送業と資材販売業が中心でしたから、経理や事務を担当しました。現在のようなICT(情報通信技術)やデジタル技術が全く普及していない時代ですから、すべてが手作業。毎月3日間ほどは寝ずに仕事をしたこともありました。建設業に携わり、97年から営業職を17年間務めたほか、女性事務員を現場に連れていって安全点検をする「女性パトロール隊」を結成し、90年から20年以上活動してきました。

 東日本大震災が発生した時は、夫と長年暮らしてきた石巻の自宅が大津波により流失してしまい、精神的ショックから動けなくなったことがあります。そんな中、社員たちが精神的に折れずに道路啓開や復旧作業に頑張って取り組む頼もしい姿を見て、うれしく思うと同時に「ピンチはチャンス」ということを教えられました。

 これまでを振り返ると失敗もつらいこともたくさんありましたが、それらを含めた多くの経験が今の社員指導に生かせていると自負しています。

 モットーは「女は愛嬌(あいきょう)」ではなく「女も度胸」です。ひとたび現場に出れば、男女の性差は関係ありません。だから、いつも建設業界の女性社員に向けて「男性と同じぐらい頑張れば、男性と同等の給料がもらえるようになるよ」と言って、叱咤(しった)激励しています。

 経験上の話ですが、3カ月、半年、1年と在籍し続けられる社員は、その後も長く働いてくれる傾向があります。ですから、若い世代には「どの業界の仕事も楽なことばかりじゃない。我慢しなくちゃいけない時がたくさんある」と伝えたいと思っています。

 ただ仕事を続けるだけではなく、どんどん積極的に動いてください。貪欲に食らいついてくる方は、上司から見ても育てがいがあります。もし失敗しても、あまり悩まないようにしましょう。終わったことを気にしても仕方ありませんからね。前進あるのみです。

 (たけやま・としこ)1974年東京都立牛込商業高校卒。乾物卸売会社に勤務後、結婚を機に宮城県北上町(現石巻市北上町)に移り住む。17年6月から現職。宮城建設女性の会2015会長。趣味はゴルフ、ハワイアン・フラ、ポーセラーツなど。東京都板橋区出身、62歳。
現場パトロールから経理まで、何でもこなした

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