2017年11月6日月曜日

【駆け出しのころ】三井住友建設専務執行役員東京建築支店長・端戸久仁夫氏

 ◇努力は人を引き付ける◇

 入社して初めて配属されたのは、横浜市内のテラスハウスの新築工事現場です。所長と主任のほか、係員は私一人で、実際の現場の業務は一人でこなさなければなりませんでした。

 といっても現場のことを何も知らない新人ですから、とにかく職長さんたちに質問を重ね、施工図の読み方や書き方、墨出しと、あらゆる業務を教わりました。最初の現場でそうして何とか業務をこなしたことで、職人さんたちとの付き合い方も覚えることができ、大変度胸も付きました。

 私のこれまでの会社人生には、二つのターニングポイントがあったと思っています。その一つが、入社3年目に配属された四つ目の現場で、私の仲人も務めてくださり、後に三井建設、三井住友建設の社長になられた清昇所長に出会ったことです。清所長はこの現場では、日曜日は全休、土曜日も職員は交代で隔週休みを取る4週6休を実践されており、大きなカルチャーショックを受けました。

 怒ると大変怖い方でしたが、私は直接怒られた記憶があまりありません。唯一思い出されるのが、休日出勤した土曜日の出来事です。私が事務所で仕事をしていると、清所長が入ってこられました。私が休日出勤していることを知ると、顔色を変えて「そんなことじゃ駄目だ。きちんと休まないと良い仕事ができないぞ」と怒られました。ねぎらいの言葉を頂けると思っていたのに、叱られるとは驚きました。日曜日の作業も当たり前だった40年以上前のことです。そうした考えの所長がいることに深い感銘を受け、「現場の運営はこうあるべきだ」ということを学びました。

 二つ目は、30代最後の年、主任として最後の仕事になった神奈川県の相模原市立博物
館新築工事です。ここでは、意匠設計は戸尾任宏先生、構造設計は木村俊彦先生という博物館・美術館建築の第一人者に監理していただきました。建物の芸術性を追求する一方で、建物を構造体と捉えて一切の妥協を許さず、細かな納まりや寸法も納得がいくまで検討される方々でした。私は工務主任と工事主任を兼務しており、施工図や製作図の承認を受けるのに大変苦労しましたが、非常に厳しい監理をしていただき、建物を芸術として捉えた造り方を勉強することができました。

 私の経験から若い方々に言いたいのは「常にたゆみない、人に負けない努力をしてほしい」ということです。最初の現場では職長さんたちに助けていただきましたが、それは私が何もできないながらも常に一生懸命、必死で走り回っていたからだと言われたことがあります。努力は人を引き付けることにもなります。とにかくいつも明るく、夢と希望を持って頑張ってほしいと思います。

 (はなと・くにお)1974年岡山県立津山工業高校建築科卒、三井建設(現三井住友建設)入社。横浜支店建築部長、東京支店建築第三部長、執行役員東京建築支店支店次長、常務執行役員東京建築支店長などを経て17年4月から現職。岡山県出身、62歳。
27歳の時に横浜市内の大型マンション新築工事の起工式で(右端が本人)

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