◇率先して自分を磨く努力を◇
建設業に興味を持ったのは中学生の頃でした。「将来は男らしい職業に就きたい」という願望があり、その象徴ともいえるヘルメットと安全靴に憧れたことがきっかけでした。
大学では土木学科に進み、構造系の卒業論文講座を受講しました。自分たちでコンクリート配合や鉄筋加工しスラブモデルを造り、それを壊してせん断応力等を調べる実験を行っていました。その中で「橋を造りたい」という気持ちが芽生え、当時、豊平川に架かる橋を数多く建設するなど「橋の岩田」と呼ばれていた岩田建設(現岩田地崎建設)に入社しました。
新入社員研修を終えて3週間ほどの測量業務の後、最初に配属されたのが、鉄道高架橋を施工する「札幌高架東8工区BL1~BL3」工事でした。そこでは測量や写真管理、生コンクリートの品質管理などを担当していました。
当時を振り返ると、がむしゃらに仕事に打ち込んでいました。現場で上司や先輩が仕事の一つ一つを丁寧に教えてくれるというよりは、実際に動きながら覚えていくというのが当たり前でした。最初は教科書通りにしか作業が分かりません。検査基準を厳格に守ろうとして少しの妥協も許さなかったため、職人さんと口論になり、怒った職人さんが現場から帰ってしまったこともありました。
冬場に打設したコンクリートの品質を確保するため、暖房の燃料を入れるために正月も現場に通っていたことを覚えています。
その頃は札幌市内の現場であっても宿舎を建て工事を行っていました。現場まで15分ほどの市内中心部に自宅がありましたが、2週間に1度、時には1カ月に1度しか家に帰れないこともありました。
若い頃、上司によく言われていたのは「攻撃は最大の防御」ということです。何事も先を見ながら対応することが大切で、ただ待っているだけでは先には進めない。「前向きに行動してこそ成果が出てくる」というその言葉の意味をこれまでの仕事で実感しました。
そうした考えもあり、当時では珍しいことなのですが、積極的に見聞を広めようと、道外の工事を3現場も経験させてもらいました。東日本大震災後には、東北支店の土木部長として被災地の復興工事にも携わり、全国から集まった技術者の方々と交流ができたこと、被災地を見て人生観が変わったことなど良い経験ができました。
今、若い人たちに伝えたいのは、自ら率先して自分を磨く努力をしてほしいということです。社会人になると、特に民間は自分の仕事の成果がその対価として得ることにつながります。受け身の姿勢で教わるのを待つのではなく、自分を磨くために一歩踏み出してほしいと思います。
(たけだ・みのる)1983年北海学園大学工学部土木学科卒、岩田建設(現岩田地崎建設)入社。土木部土木課工事長、土木部次長、東北支店土木部長、土木部長、執行役員土木本店長などを経て17年4月から現職。北海道出身、58歳。
最初に配属された鉄道高架橋工事の現場事務所で |
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