◇協調性を身に付け幅広げる◇
大阪の実家は建設業を営んでいましたが、大学の経済学部に在籍していた私は卒業したらアパレル産業の企業に入ろうと考えていました。ある大手メーカーの入社試験で2次面接くらいまで残っていたものの、この会社でずっとやっていけるのかと心が揺れていました。
そんな時に友達2人が建設会社への就職を希望していると知ります。一緒に大阪・御堂筋を歩いている時、不動建設(現不動テトラ)大阪本社の前をたまたま通ったのがきっかけとなって建設業界に興味を持ち、入社試験を受けて採用していただきました。面接では「海外に赴任できますか」と質問され、「はい」と答えたのを覚えています。
入社してすぐ子会社のフドウ技研(現ソイルテクニカ)に出向し、茨城県内の造成現場に事務職として配属となりました。事務所の2階にある宿舎が住まいです。最初のころは皆が帰った土曜日の午後や休みの日も事務所の電話が鳴ると1階に下りて出るなど、仕事のオンとオフの切り替えがない生活に戸惑いもありました。でも学生時代に体育会系のサッカー部に所属していたため、縦社会だった現場の世界に違和感を覚えることもなく、ここでは楽しくいろいろな経験をさせていただきました。
当時は現場で働く社員への毎月の手当ては、事務担当者が東京本社に行って現金で受け取り、皆に手渡していました。この役目を果たす大事なある日、現場の先輩からいつもより早く戻ってくるよう言われました。急いで帰って夕方に近くの駅に着くと、きれいに身支度を整えた先輩たちが迎えに来ているのです。そのまま私も連れて飲みに行くためで、楽しい思い出の一つになっています。
営業を担当していたころのことです。他社の方とのやりとりで理不尽なことを言われ、会社に帰ってから腹立たしい気持ちを口にしていました。それを聞いた先輩が「その人とはまた仕事で関わるはずで、理不尽だと思っても文句を言っていると自分に必ず跳ね返ってくるもの。次を考えて行動した方がいい」と言うのです。すぐには納得できませんでしたが、自分から頭を下げに行きました。
すると4年後、本当にこの方とまた一緒に仕事をする機会が訪れ、「あの時は申し訳なかった」と謝っていただけたのです。人とのつながりの大切さを改めて学べた出来事でした。
若い人たちには自分の意思や信念を曲げる必要はありませんが、協調性をぜひ身に付けてほしいと思っています。この仕事は一人でできるものではありません。一つの分野だけに染まらず、自らの幅を広げるためにも協調性は大切です。あとは忙しい中でも公と私をしっかり分けて頑張るよう期待しています。
(おかむら・もとじ)1981年桃山学院大学経済学部卒、不動建設(現不動テトラ)入社。ジオ・エンジニアリング事業本部第二事業部九州事業所営業課長、同四国事業所営業課長、不動テトラ四国支店長などを経て、15年4月から現職。大阪府出身、59歳。
大学のサッカー部を引退して間もない時期、旅行先で撮った1枚 |
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