2018年6月18日月曜日

【駆け出しのころ】前田建設取締役専務執行役員建築事業本部長・今泉保彦氏

 ◇自ら先頭に立つ気概と情熱を◇

 大学の法学部を卒業した私は1981年に入社し、札幌支店(現北海道支店)の現場に赴任します。静内町内から四十数キロ離れた険しい山間部にある地下発電所の工事現場でした。自ら求めて入った世界とはいえ、着任してすぐに山深い地で事務所や協力会社の宿舎が立ち並んでいる光景を見たとき、この生活がずっと続くのかと不安な気持ちになったのを覚えています。初めてのホームシックでした。でも、1カ月もすると現場での生活に慣れ、やはりこの世界は自分に合っていると思うようになっていました。

 ここでは冬季に施工ができないため、若手職員は1~3月の間だけ本社や他の支店へ応援転勤という形で異動することになっていました。私は本社で品質管理の取り組みを推進するTQC推進室に異動します。3カ月も我慢すればまた北海道に帰れると思っていたのですが、4月になっても戻れず、結局私はここに9年間在籍しました。この間、同じ部署に後輩は一人もいませんでした。

 当時、会社は総合品質管理活動で功績のあった企業などに贈られるデミング賞の受賞を目指して取り組みを活発化させていたころでした。私の仕事は階層別社員研修の企画や資料作成、講義録のまとめなどで、1年の3分の1以上は茨城県取手市にあった研修所に宿泊しながらの勤務でした。入社したころは会社にワープロがまだ1台しかなく、書類のほとんどは手書きの時代です。一人が数回にわたり受ける全社員対象の研修でしたので、その名簿を手書きで作成しているうちに、約3000人の社員の名前が分かるようになっていました。

 大変な激務でしたが、トップダウンによる取り組みであったため、会社が進んでいく方向がよく分かり、社内の人脈を広げられたのも大変に貴重な財産となりました。そうしてTQC推進室に入って7年目にデミング賞を受賞でき、それからさらに2年ほど同じ仕事を続けた後、今度も自分では考えてもいなかった秘書室に異動します。ここに6年半ほど在籍し、40歳になってから初めて営業を担当しました。

 現在は世の中の流れが速く、いろいろなことが大きく変わっていく時代です。建設業もIoT(モノのインターネット)や人工知能(AI)などの普及で大きく変化していくでしょう。そうした社会の動きに合わせて個人も変わっていくことが必要であり、若い人たちには専門性を深めつつ、いろいろなことを知って個人の力を付けていってほしいと思います。何にでも取り組んでいける可能性は広がっており、自らが先頭に立って引っ張っていくという気概と情熱を持つよう期待します。会社はそうした人を必ず支援していきます。

 (いまいずみ・やすひこ)1981年成蹊大学法学部卒、前田建設入社。本店TQC推進室主任、秘書室課長代理、執行役員建築事業本部企画推進部長、同海外事業本部副本部長、常務執行役員中部支店長、同東京建築支店長などを経て、17年6月から現職。秋田県出身、60歳。
デミング賞を祝う社会の会で(右から3人目が本人)

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