2018年6月25日月曜日

【駆け出しのころ】大林組執行役員建築本部副本部長兼技術本部副本部長・後藤和幸氏

 ◇いつも学ぶ姿勢を忘れずに◇

 大学で衛生工学を専攻し、修士論文では地中熱について研究しました。入社して最初に配属されたのは、東京本社建築本部設備部計画第二課です。現場に根差した技術開発を行う部署で、ビルのエネルギー消費や温度分布の実測とともに、それらを論文にまとめることなどが主な仕事でした。

 2年後、建築本部設備設計部に配属となりましたが、私は学生時代も含め建築製図の経験がなかったため、いろいろと苦労しました。配属直後に図面のトレースを命ぜられ、どうにか完成させて上司に提出すると、既に図面が出来上がっていたこともありました。上司は私のトレースでは使いものにならないと見越し、外注していたのです。恥ずかしさと大変申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、一方で長い目で見てもらえれば、必ず会社に貢献できる時が来るという思いも強く持っていました。

 その後、設備計画部技術課での設備劣化診断業務などを経て、32歳の時に初めて現場勤務となります。建築主任や協力会社の皆さんにいろいろと教えてもらいながらの日々でした。ある日、私は所長から質問されたことを協力会社の方に聞いてそのまま報告し、この所長に「明日から来なくていい」と厳しく叱られたことがあります。確かにこれでは私が現場にいる意味はないと、叱られた理由がすぐに分かりました。

 それまでは自分なりに真面目にやっていると思っていましたが、情報を集めて伝えることで仕事をしたつもりになっていたのです。大林組と協力会社のコミュニケーションを大切にし、お互いの知恵を出し合わないと現場の全体最適とはならない。このことを学べたことは大きく、自分を成長させてくれた現場でした。

 この現場の竣工後、現地赴任も含め海外部門に8年間勤務しました。35歳の時に米国で担当した工場の現場では、お客さまや設計事務所のエンジニアとじかに折衝する立場になりました。技術者としての未熟さを痛感しましたが、得意なことを少しでも生かしていこうと努力しました。

 これまでの経験を踏まえ、会社では新入社員の研修などでこんなことを話しています。若いうちは、例えミスをしても会社や上司が必ずフォローするので大きな失敗にはなりません。でも、それを当たり前と考えてはいけません。

 「教えてもらっていないからできない」ではなく、「まだまだ自分は知らないことばかり。だからこそ学んで行こう」と考えてほしいのです。常にいろいろなことに目を向け、勉強して吸収していくことが成長であり、自分のキャリアは自ら形成していくという強い気持ちが大切なのだと思います。これから会社を支えていく若い人たちには、いつも学ぶ姿勢を忘れず、周囲から、会社ではなく個人の名前で信頼を得られるようになってほしいと思います。

 (ごとう・かずゆき)1984年北海道大学大学院工学研究科衛生工学専攻修了、大林組入社。東京本社建築事業本部設備部設備課長、本社技術本部企画推進室部長、海外支店設備部長、本社建築本部本部長室部長などを経て、18年3月から現職。秋田県出身、58歳。

米国に赴任してきた時に撮った一枚(1997年)

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