2018年6月25日月曜日

【創刊90周年特集企画】三代目桂歌之助師匠に聞く「落語に学ぶ建築・まちづくりとは」

 ◇庶民の心で街の色が定まる◇

 江戸の人々の暮らしを描く落語。現代のように電気や水道、ガスはなく、簡素な住まいの時代にあっても、庶民は助け合い、知恵と工夫を出し合って力強く生きてきた。そこには現代の暮らしに通じる古くて新しい示唆が潜んでいる。千葉大学で建築を学び、今は上方落語の本格派として活躍する三代目桂歌之助師匠に落語から学ぶ建物づくり、街づくりのヒントを聞いた。

 □広く学ぶ視点□

 落語で描かれる上方の建物は入り口の横にかまど、前には四畳半の部屋があって奥に坪庭がある。今に残る京町家も原型は同じだ。ウナギの寝床とよくいわれるが、あの造りは良くできている。両側が他の家の壁で窓をとれないため、玄関と坪庭から風と光を採り入れている。限られた空間で快適にすごそうとする工夫がある。坪庭に緑もある。現代でも狭小住宅に使われるテクニックだろう。

 地域の個性は豊かな方がいい。大阪は古くから「水の都」と呼ばれ、川を含めた景観が素晴らしい。訪日外国人が増えているのも、そういう日本を見に来ている。最近は「日本らしさ」を求めて、外国人の間で昔ながらの食堂が人気を集めているそうだ。外国人の方が日本の良いところを知っている。日本人が日本人らしくないことに気付いていないのは悲しい。

 □人々をつなぐ□

 電車の中を見ると「閉じている」人が多い。スマートフォンを見ながらイヤホンをし、マスクをして隣の人にはまったく無関心。ところが電車で誰かを助けたというニュースがあると、ネットで拡散して「いいね」という共感が集まる。いわゆる「開いた」状態となる。最近の建築物も同じようなところがあって、非常にプライベート空間を大切にする。しかし昔ながらの居酒屋が良いとされるところもある。今は閉じているけども、開いているのも良いという二つの価値観が混在している。

 その点で落語は完全に開いている。遊んでる人間に「仕事を世話しよう」と始まる噺(はなし)が山ほどある。今の若者は開いているところにも共感するわけだから、落語的な人間の触れ合いは現代でも成立するということだろう。

 □暮らしの知恵□

 落語に扱われるドラマが起こるのは、当時のやむを得ない事情だ。例えば隣の夫婦げんかを聞いて仲裁に入る噺がある。これは壁の薄い長屋が並んでいたというやむを得ない事情が根底にある。現代の遮音された建築では起こりえない。

 現代の集合住宅で住民から「人との触れ合いや横のつながりがほしい」という要望があると聞く。仕掛けとしてやむを得ない状況をつくり出せばいい。落語に「崇徳院」という噺がある。商家の若旦那が恋煩いとなり、出入りの職人が若旦那のほれた娘を捜すために足を運んだのが、人の集まる風呂屋さんと床屋さん。現代の「人寄り場所」はバスの停留所やごみ捨て場かもしれない。落語を演じる立場からは、そういう生活の必然と絡めたところに、人のつながる場を作るのもいいと思う。

 理想とするのは、閉じているところと開いているところが、うまくつながっている建築物だ。プライベートがまったくないのは嫌なのだが、ずっと閉じているままでは人とのつながりがない。これから高齢者が増えることも考えれば、人々が横につながり、一緒に助け合うことも必要になる。プライベートな空間と公的な空間、閉じている空間と開いている空間がうまく両立しているのが良い建築で、それがつながって良い街が生まれる。

 □日本人のDNA□

 建築家の安藤忠雄さんの出世作となった「住吉の長屋」(大阪市住吉区)は、雨が降るとトイレに傘をささないと行けない。不便に感じるが、それを許す施主がいる。建築文化を創造するのは庶民ということだ。あべのハルカス(大阪市阿倍野区)は雑多な街の向こうに、一本だけ立っている混沌(こんとん)とした景色がおもしろいという見方もある。いろんな人がいろんなことを考えながら全体としての都市、街の色が定まるのだろう。

 大阪の空堀商店街や中崎町辺りにはレトロな街並みが残る。そういうものを好むのは「ここが心地よい」と感じる日本人のDNAだろう。一度もそんな家に住んだことはない若者が「いいな」と思う何かがある。芸もそうだが、一遍途絶えると復活はなかなかできない。建物も無くなると再現することは難しい。古い建物を身近な生活遺産として意識し、つないでいくことは大切だ。

 上方唯一の定席として六十数年ぶりに復活した天満天神繁昌亭は地元商店街が街の活性化のために誘致した。商店街もにぎやかになり、大変に成功した。それを見て、神戸にも寄席ができることになった。寄席の誘致によって街を活性化しようとする試みが広がってほしい。

 □想像力を養う□

 落語が成立するのは観客の想像力だ。これが今の日本人に最も大事なものだと思う。技術開発はよりリアルに、いかに現実に見せようかという方向に向かっている。それとは全く逆のことだが、落語は無いものを頭の中で想像して楽しむ。コミュニケーションは相手のことを想像するところから始まる。どうしたら伝わるのかと相手のことを想像し、この人は何が言いたいのかを想像する。「分からない。終わり」でなく、もう一歩我慢して思いを巡らすことが、これからの国際社会に向かう若者には必要だ。想像する楽しみをいま一度見直してもらいたい。

かつら・うたのすけ)1971年大阪府高槻市生まれ。千葉大学工学部建築学科卒。97年に故二代目桂歌之助に入門し、桂歌々志(かかし)を名乗る。

 以後、大阪、京都、東京の各地で自らの落語会を開催。2007年1月にワッハホールで三代目桂歌之助を襲名。06年「なにわ芸術祭新人賞」、07年「文化庁芸術祭新人賞」「第一回繁昌亭輝き賞」「咲くやこの花賞」を受賞。09年に天満天神繁昌亭で12カ月連続「桂歌之助独演会」、17年に芸歴20周年を記念した20日間連続落語会「歌之助やけくそ二十日間」を開催。現在は2カ月に一度天満天神繁昌亭で「長寿の会」を開催中。

 古典から新作までを手掛け、イタリア、台湾の落語会でイタリア語、中国語による落語を披露するなど意欲的な高座で注目を集めている。

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