思ってもみなかった仕事でゼネコンの役割を知った |
◇巡り合わせた仕事に誇り◇
土木や建築の現場で働きたいと就職を決めたものの、想定していなかった業務に就くことになったゼネコンの社員は少なくない。竹村奏太さん(仮名)は土地区画整理組合の事務を約10年担当してきた。施行区域は家が立ち並び、人が増え、開業を控える店舗が多い。建築中の住宅もアパートの計画も複数ある。「見違える光景になった。やってきたかいがある」。公園に設置することになった区画整理事業の記念碑の除幕式を終えて、改めて達成感を得るとともに、散歩するほほ笑ましい親子を見て、温かい気持ちになれた。
事業は苦難の連続だった。高速道路が開通し、商業施設や新興住宅街の開発が進み、人口が増え始めた海沿いの地域で計画された。鉄道の駅至近ながら、田や荒れ地が多く、開発のメリットは大きいと目されてきた。しかしバブル崩壊やリーマンショックといった経済情勢の変化の荒波にさらされ、開発機運は浮き沈みが大きかった。
2000年代後半の住民合意を機に、組合設立へ走りだしたさなかに東日本大震災が発生した。東北から離れてはいるが、破壊力と甚大な被害を見せつけた津波は、海が遠くない地域の地権者にも恐怖を抱かせることになり、住宅デベロッパーや出店を計画する商業者の進出意欲をかき消してしまった。
震災の直後、組合設立に至った。月日が流れ、駅前ロータリーや雨水幹線の整備などに合わせて、保留地の処分が進み、住宅などの建設に伴って景色が変わり始めた。「街づくりの事業の偉大さと、仕事の役割の大きさを感じる」と、今までの苦労がやりがいに変わったように思えた。地権者との信頼関係を何より大切にしてきた。事務局主催で始めた餅つきは若い子育て世代にも人気でコミュニティー形成の一翼を担っている。
信頼関係を損なう事件がなかったわけではない。商品化されている資材を利用したが、廃棄物由来のために誤解を招いてしまったことがある。説明不足に尽きるーー。地権者を含む住民との関係がこじれてしまう怖さと早さを痛感した。
除幕式の取材に訪れた記者が「幼少の頃にこの地域の記憶がある。何もなかったですよね」と話していた。「ゼネコンは街の土台を造る仕事」。新興住宅街にふさわしくなった街並みや10年前の航空写真を見てそう思う。保留地の処分が完了し、組合は解散が認可された。合意形成や調整、説明会の準備などに奔走した多忙な日々は少し前の記憶になりつつある。
この時期、区画整理の事務所の周りにはいつからから黄色のスイセンの花が咲くようになった。桜の開花が遠くなく、区画整理地に設けた公園の植栽の色が豊かになっていく。陽気のいい日が増えて、平日の日中も街を行き交う人が目につくようになった。定住者はさらに増える見通しだ。「事業に携わって10年。街は人がいてこそのもの。ゼネコンの仕事がまた一つできあがった」。苦労も不安も達成感もあった区画整理事業の事務局員の仕事に誇りを持っている。
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