2021年3月9日火曜日

【駆け出しのころ】鉄建建設取締役常務執行役員建築本部長・瀬下耕司氏

 ◇現状に一喜一憂せず前進◇

 実家が設計事務所を営んでいたため、鉄建建設に入社した時「どうせ辞めるんだろ」と言われたこともあり、会社に絶対残ると決意表明しました。最初に配属された現場は新幹線の上野地下駅。2カ月ほどしかいませんでしたが、一般の建築とは異なり、大きな事業に関わっているなと感じました。

 続いて東京都内の小学校新築工事の現場に立ち、厳しい工期でハードな毎日に正直辞めたいとも思いました。それでも仕事を続けてこられたのは、上司や先輩など周りの人たちに恵まれたことが大きかったです。自分の手に負えず、対応が分からない時は自分勝手に判断せず、素直に教えを請いました。

 その後は官庁施設やマンションなどの工事に携わり、徐々に鉄道系の仕事も多くなりました。入社10年目ごろに赴任した長野には約5年いました。当時は長野新幹線の開業や冬季五輪の開催に向け、五輪関連施設や企業の拠点新設など仕事が多かったです。

 思い出深い現場は、やはり新幹線の長野駅橋上本屋工事。JR関係の工事は線路の切り替えや駅の開業などが関わるため、常に工程に追われています。図面を予定通りに仕上げ、チェックして相手に渡さないと、資機材が入らず職人を遊ばせることに。そうしたプレッシャーが嫌でたまらなくなり、現場の所長に辞表を提出しました。最終的に周りの人たちに迷惑を掛けてしまうことから思いとどまりました。

 激務に対して葛藤もありましたが、仕事を続けていく中で人間関係も濃くなり、現場では上とも下とも常に良好な関係を築いていました。家族も心の支えになりました。当初は単身赴任を予定していましたが、家族も長野で一緒に暮らすことに。夏休みなどまとまった休暇を取得できた時、子どもたちを毎日連れ回して遊んだのもいい思い出です。度が過ぎたのか、子どもから「たまには友達と遊びたいよ」と言われたこともありました。普段家族サービスができない分、休みの時はできるだけ一緒にいました。

 自分が思い描いたようにものごとが動き、ものができあがるのは現場技術者の醍醐味(だいごみ)です。一般の建物では竣工した時が一番うれしく、技術者としての充実感が得られます。駅は開業や切り替えの後、多くの人たちが施設を利用した瞬間に何よりやりがいを感じます。

 目の前の仕事に実直に取り組むことを大切にしてきました。現場は苦しいことの連続でしたが、手を抜かず、より良いものを早く、安く、安全に造ることを常に念頭に置いて現場と向き合う。若い人たちも今の状況に一喜一憂せず、諦めないでほしい。こつこつと前に進み続ける姿を見てくれる人は必ずいます。

入社7年目ころ、休日に息子と訪れた東京都内の現場事務所で

 (せした・こうじ)1983年武蔵工業大学(現東京都市大学)工学部建築科卒、鉄建建設入社。執行役員建築本部副本部長などを経て2019年から現職。埼玉県出身、61歳。

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