2021年3月29日月曜日

【駆け出しのころ】東芝プラントシステム取締役専務原子力事業部長・亀井孝一氏

 ◇信頼築きレベルアップを◇

 大学で機械工学を学び、工場実習などもありましたが、発電所など大きなプラント建設の現場はやりがいがありそうだと感じました。当社の社員だった同じ研究室の先輩の話を聞き、感心がより強まりました。

 入社後、3カ月ほどの研修中には電気工事でケーブルを敷く現場にも立ちました。新人ながらも協力業者や顧客と一体となり、信頼関係を築くことが工事を円滑に進める上で重要なのだと実感できました。

 同期入社の約130人のうち100人強が男性社員。入社当時は原子力発電所のプラント建設が複数箇所で同時に始まっており、私も含めて半分以上が原子力部門に配属となりました。

 建設業務を担う原子力技術部の中で、建設プラントの見積もりや予算の取りまとめを担当。現場や工事のことを何も知らず、見積もりを作って顧客とやりとりすることに戸惑いました。とにかく現場の人たちに工数や過去の実績などを聞きながら情報収集に奔走し、さまざまなデータを蓄積。実際の現場は見ていませんが、少しでも予算・見積もりの精度を上げるよう努力しました。

 現場の方々にデータ提供など余分な仕事を一方的にお願いするのではなく、現場がうまく進むよう、自分ができることでバックアップを心掛けました。先輩方とも良い関係を築け、受注できた時には一緒に喜んでくれました。

 良いことばかりではなく、赤字を出したり、仕様書を読み違いしたり、失敗もいろいろ。顧客とのやりとりを書き残すことの重要さも学びました。契約などでは一言一言が大事になるので、議事録を必死に手書きしたのを覚えています。

 7年目に新潟原子力建設部へ異動し、柏崎2、3号機の建設工事で機械・配管工事管理を担当。初の現場勤務でしたが、本社での頑張りが認められ、いきなり主任の立場となりました。

 現場経験が伴っていない分、コミュニケーションを積極的に取って周囲との信頼を深めていきました。人から聞くだけでなく、何事も自分の目で確認するよう、足で稼ぐことを心掛けました。約5年の現場勤務の後、本社に戻って見積もり・予算作成の業務に再び従事し、現場経験を生かしてレベルアップできました。

 原子力分野の事業環境は東日本大震災で一変。福島第1原子力発電所の事故対応では協力業者を含めて多くの人たちが懸命に取り組みました。新規建設が止まり、技術者は達成感を得られず、モチベーションのキープが難しい状況です。再稼働や長寿命化、廃炉など、やるべきことはあり、脱炭素を考えれば原子力にもまだまだ未来があります。安心・安全なプラントを造るのがわれわれの役目であり、若手には明けない夜はないと伝えています。

入社2年目、社員旅行で訪れた京都・太秦の映画村で(前列中央が本人)

 (かめい・こういち)1982年日本大学生産工学部機械工学科卒、東芝プラント建設(現東芝プラントシステム)入社。執行役員原子力事業部副事業部長、取締役上席常務原子力事業部長(現任)を経て2017年から現職。北海道出身、61歳。

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