2021年3月1日月曜日

【駆け出しのころ】西松建設執行役員新規事業統括部長・細川雅一氏

  ◇チャレンジで失敗からも学び◇

 子供のころからみんなで何かやりたいという思いが強かったです。大勢の人たちが集まってものを造る建設業に関心を持ち、スケールの大きな土木の世界を志しました。

 西松建設に入社後、まず名古屋の街中のシールド工事の現場で半年ほど勤務。短い期間だったので仕事を覚えるというより、建設会社がどういうものかを体感しました。

 次の現場は東海農政局の大原調整池建設工事。山間部にロックフィルダムを建設する事業で、新人ながら本体構造物の一つである洪水吐(水路)の築造を任されました。大勢の人たちが工事に携わり、フィールドも広くて楽しくもありましたが、仕事も生活もすべてが現場に入り込み、プライベートもなく大変でした。

 まだ知識も経験もないですから、分からないことは聞くしかありません。会社の先輩だけでなく、下請業者の宿舎に酒を持って夜な夜な通い、各工種の親方らにいろいろと教わりました。効率よく仕事を進めるため、特に工程の考え方などを勉強させてもらいました。

 30代半ばで副所長として現場に立った長島ダム貯砂ダム建設工事は、技術者として大きな転機になった現場です。ダム本体に現地発生土材とセメント、水を混合した材料「CSG」を初めて使った試行プロジェクト。CSGの製造設備を試行錯誤で製作するなど、こちらが提案したものを発注者に認めてもらい、いろんなことにチャレンジする喜びを感じられました。

 貯砂ダムを造った後、川を切り回しているバイパストンネルの閉塞(へいそく)作業中に、肝を冷やす出来事もありました。大雨で上流のダムから水が放流された際、連絡を受けた放流量は、これまでの経験上大した量ではないと思い込んでしまいます。

 しかしダムができたことで水がたまり、それが越流してダム直下へ一気に流れ込み流速が急増。車は流され、作業員らと連絡が取れなくなりましたが、何とかみんな無事に避難でき、幸いにも人命に関わる事態にはなりませんでした。頭の中だけで判断せず、実際に見て、聞くことの大切さを改めて痛感しました。

 30代後半に担当した高速道路のIC改良工事も思い出深い現場の一つ。軟弱地盤にボックスカルバートを構築する際、コンクリート打設後に沈下し作り直すことになりました。

 2回目は載荷試験などをより綿密に行いましたが再度沈下する事態に。事後対応で社内の議論も紛糾しましたが、壊さずにジャッキアップで直接基礎を杭構造に変える方法を選択しました。損失を出すなら辞表を出そうとも考えていましたが、安易に壊さず技術で乗り越えたことが発注者からの信用につながり、設計変更も認められました。失敗からもいろいろ生まれます。若手にはチャレンジ精神で頑張ってほしいです。

入社2年目、大原調整池の安全祈願祭で。
(左から2人目が本人)

 (ほそかわ・まさかず)1987年横浜国立大学工学部卒、西松建設入社。西日本支社土木部長や経営企画部長、中国支店長を経て2019年4月から現職。神奈川県出身、57歳。

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