2018年5月14日月曜日

【駆け出しのころ】フジタ執行役員建設本部副本部長・高須登志也氏

 ◇設計の楽しさ味わってもらいたい◇

 高校生の時、将来を見据え、手に職を付けたいと思っていました。中でも、目に見えるものがよく、意匠設計をやりたいと考えて建築学科に入りました。

 大学卒業後、フジタに入社し、広島支店で1年間の作業所研修がありました。その作業所はホールの建築工事で、工期中盤から加わりました。当時、会社としては意匠設計に仕上げ工事を学ばせたいという意向があったと思うのですが、実際は、ほとんど掃除ばかりでした。その時は意匠設計の仕事にすぐに携わりたいという気持ちが強く、早く1年が過ぎればよいと毎日思っていました。

 研修期間が終わり、本社に配属された後、札幌支店へ異動となりました。当時の札幌支店は、意匠設計の担当者が私を含め3人、このほか、構造設計が2人と小規模な支店でした。仕事で困ったことがあっても、聞く相手がほとんどいません。

 当時は、上司だけでなく、工事関連の部署などに顔を出し、どんな図面があれば見積もってもらえるのか、どういう業者さんから情報をもらえば設計に反映できるかなどの話を聞いて回りました。

 慌ただしい日々でしたが、建物を設計して形になり、完成するのが楽しかったし、うれしかったです。特に思い出に残っているのが、自分で一から設計を手掛けたスポーツ施設の案件です。その施設の竣工式の際、施主など関係者のところへあいさつに行った時です。これまでの苦労を思い出し、思わずお客さんの前で男泣きしてしまいました。

 その後、本社へ戻り、コンペを中心に業務を手掛けました。バブルに差し掛かる時で、業界も盛り上がっていました。中でも札幌のある施設を提案する際には、夜中まで上司を付き合わせて、議論を重ねました。

 いくつもの案を出して上司と「これでいこう」と決めた夜のことは、鮮明に記憶に残っており、大手を相手にしたそのコンペで勝てた時は、大変うれしかったです。

 少し前まで当社の設計業務は物流、工場、マンションが多くを占めていました。ですが、最近では、高級ホテルや高機能な流通センターなど、仕事の幅がかなり広がってきたので、若い人にとってチャンスが広がっていると捉えています。

 若手社員を育成することが、使命と感じており、私が若い時にいろいろと経験したことを若手に経験してもらうことで、設計の楽しみを味わってもらいたいのです。そのためには、仕事に貪欲に取り組んでほしいです。自分でやりたいという気持ちを持って前に出てきてさえしてくれれば、サポートを惜しみません。自分から行動を起こせる若手が増えることを心から期待しています。

 (たかす・としや)1984年北海道大工学部建築工学科卒、フジタ工業(現フジタ)入社。建設本部設計エンジニアリングセンター計画設計部部長、同企画設計部長、同センターセンター副所長などを経て17年4月から現職。東京都出身、57歳。(兼設計エンジニアリングセンター所長)

当時の札幌支店の仲間と訪れた写真旅行での一枚(左端が本人)

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