2018年5月28日月曜日

【駆け出しのころ】熊谷組執行役員土木事業本部副本部長・柏原貴彦氏


 ◇厳しく鍛えられたからこそ◇

 小学生のころ、両親に連れられてよくキャンプに行きました。そこで見たのがダムです。これを人が造ったのかとスケールの大きさに感動したのを覚えています。ボーイスカウトに入っていたのですが、テントの設営時にリーダーから言われて周りに側溝を掘ったことがありました。その晩に大雨が降り、昼間に一生懸命掘った側溝のおかげでテントが浸水せずに済んだのです。これが治山治水と教えてもらい、土木を意識し始める一つのきっかけになりました。

 入社して最初に配属されたのは東京都内の地下鉄工事です。シールドトンネル工事と、立て坑・駅部を開削工事で造る大規模な現場でした。技術者として地下鉄工事からスタートできると期待に胸を膨らませながら着任したものの、ここには大変に厳しい先輩方がおられ、新人の私は怒られてばかりの日々でした。

 現場ではとにかく先のことを考えて動くよう指導され、「工事のやり方は自分で考えること」「工程ぐらいは自分で書くこと」などと何度も言われたものです。朝のラジオ体操で手がしっかり伸びていないことでも怒られました。

 後日、他現場の同期たちに聞いてもそんなに怖い先輩はどこにもいなく、会社の中でもどうやら私が配属されたのは鬼軍曹がそろう珍しい現場だったようです。

 でも当時は不思議と仕事を辞めたいとは考えもしませんでした。「後で仕返しを…」などと思いながら頑張っていたのかもしれません。厳しく怖い先輩方でしたが、ここで鍛えられた経験が後に大きく役立ったと思っています。

 10年目くらいに携わった高速道路の建設工事で、開通に関わる残工事を一手に引き受けて完成させたことがありました。このため発注者が開かれた開通式後の祝賀会にゼネコンの社員で私一人だけ参加させていただいたこともよい思い出になっています。

 新人時代の経験もあり、かつて自分が嫌だと感じたのと同じことは、後輩や部下にはしないという思いでやってきました。しかし現場の所長となり、わずか数日で設計変更への資料を作成しなければならなくなった時は、とにかく間に合わせたいと鬼のようになっていたかもしれません。皆で何とかやり遂げ、一緒に喜び合ったことは今も忘れられません。

 現場に勤務する若い人たちには、所長になることをぜひ目指してほしいと思います。中には若くして所長になる人もいるでしょう。大変かもしれませんが、やりがいを感じられる仕事であり、その面白さを教えていきたいです。そして働き方改革を実現していくためにも、仕事のポイントをしっかり見られるようになってほしいと期待します。

 (かしはら・たかひこ)1984年東海大学工学部土木工学科卒、熊谷組入社。首都圏支店土木事業部土木部担当部長、同支店次長兼土木事業部長兼土木部長などを経て、17年4月から現職。東京都出身、57歳。

最初に配属された現場の事務所で。
入社から27年間、最前線でものづくりに携わった(右側中央が本人)

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