2018年5月21日月曜日

【駆け出しのころ】紅梅組取締役建設工事部長・柳谷明弘氏

 ◇人とのつながりが仕事に生きる◇

 横浜で生まれ育ち、中学生のころは卒業したら親戚の畳屋で働いて畳職人になろうと考えていました。でも、母親に高校だけは卒業するよう言われて入学したのが、地元の神奈川県立神奈川工業高等学校です。高校の3年間は建築を学びながら、すし屋でアルバイトをしていました。

 店の常連さんに建設業の親方たちがいらして、よくかわいがっていただきました。親方
たちはきっぷが良くて細かいことなど言わず、若い職人さんたちにすしを食べさせる姿も格好良く見えたものです。会社に入ってしばらくたち、自分が後輩を連れて飲みに行くようになった時などは、あの親方たちを頭のどこかに浮かべていたかもしれません。

 入社して最初に配属されのは小学校の新築工事現場です。その4カ月ぐらい後に中学校の新築工事現場に移り、ここでは最初の杭打ちから竣工まで携わることができました。高校時代のバイトで親方たちとご一緒できた経験もあり、自分では建築の世界にすぐなじんでいけたのではないかと思っています。

 25歳で担当したビル新築工事でのことです。基礎工事までは上司の所長がおられたのですが、途中から私が所長を任されました。これが初めての所長です。それまでは社員が6、7人いる現場ばかりで、しかも一番若かったために現場運営の経験などなく、正直に言ってどう進めていけばいいのか不安でした。職人さんたちにいろいろ教えてもらい、何とか完成させることができた時は胸をなで下ろしました。

 いつ誰に教えていただいたものかは覚えていませんが、好きな言葉の一つは高杉晋作が残した「人は旧(きゅう)を忘れざるが義の初め」です。お世話になった方をないがしろにしてはいけないという教えであり、人と人のつながりがしっかりしていれば仕事は進んでいくものです。

 かつて現場の職員が事務所の固定電話だけを使っていたころは、例えば後輩が間違った数量の資機材を注文していると、周りの先輩や上司が気付いて指摘したものです。ところが今は携帯電話を使って事務所の外でやりとりすることも多いため、周りの人には間違っていても分かりません。これも時代の流れでしょうが、それだけに何事も確認を徹底させることが求められているともいえます。

 現場はもちろん、事務所や倉庫の中もしっかり整理整頓ができていないと、よい建物は造れません。私が長年にわたり実践してきことであり、今もそう指導しています。若い社員には手配する人ではなく、自ら図面を描き、細かい納まりも分かる本当の技術者としての成長を期待しています。

 (やなぎや・あきひろ)1975年神奈川県立神奈川工業高等学校卒、紅梅組入社。工事課主任、工事部係長、同専任課長、同専任部長、執行役員工事部管理部長、上席執行役員などを経て、16年6月から現職。神奈川県出身、61歳。

1990年代初めに行った社内旅行での一枚

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