2018年10月15日月曜日

【駆け出しのころ】高砂熱学工業執行役員エンジニアリング事業部長・神谷忠史氏

 ◇多様な感性持つエンジニアに◇

 私が新人時代に先輩から受けた教育は、同期の人たちと比べてもだいぶ違っていたようです。入社して2週間の新人研修を終えて現場に配属された日、私の教育係であるエルダーの先輩から現場関係者を紹介していただくとともに、仕事の大まかな流れについて聞きました。すると翌日から他にいくつもの現場を担当している先輩は自分の現場に来られない日が多く、いきなり1人で仕事をしなければならない状況に追い込まれました。

 携帯電話などない時代です。他の同期の現場は所長もエルダーも常駐していましたが、私は分からないことがあっても先輩にすぐ聞けず、本社へ電話して課長に来てもらい、資材の注文方法を教えてもらったこともありました。それだけ必死だったのだと思います。現場で分からないことは細かくメモし、先輩が1週間に2、3度来られた日の短い時間に質問するようにしていました。

 次に携わった現場でも先輩とご一緒し、スキルが足りないと自覚していた施工図の描き方などを教えていただきました。このころもそうでしたが、まずは後輩に仕事を任せて経験させ、たとえ失敗して損が出たとしても自分が他でカバーする。先輩の後輩指導はこういうものであったと、2、3年たってから分かった気がしました。それだけ鍛えられ、新人時代には半年で3年分の仕事を覚えたと思っています。

 実は入社したころ、早く仕事を覚えて所長になりたいと安易に考えていました。ところが施工管理や図面の描き方を覚えるだけでも大変で、さらに予算面も含めた全体の管理運営をしなければならない所長となるには、時間がかかっても実践で勉強するしかないという気持ちに変わっていきました。そして4年目、クリーンルームの建設工事で初めて所長を務めることができました。

 お客さまから指名を受けた工事を担当していた時のことです。工事途中で異動の辞令が出されたのですが、これにどうしても納得がいかず、工事が終わるまでの1カ月間、自分の判断で現場を離れませんでした。それが指名していただいた自分のエンジニアとしての責任だと考えたからです。社内で認められることも大切ですが、お客さまと良好な関係を築けると大きなモチベーションになります。これは会社で部下によく言っていることでもあります。

 これまで現場施工や設計などに携わってきた中で、高い技術力を持つ多くの先輩に出会うことができました。この財産を生かし、いろいろなタイプの人材を多岐に育てていくのが私の使命だと思っています。自分の何を磨いていくかはそれぞれに違いますが、若い人たちには多様な感性を持って、お客さまの視点で付加価値を高められるエンジニアになってほしいと期待します。

 (かみや・ただし)1986年北海道大学工学部衛生工学科卒、高砂熱学工業入社。産業設備事業部技術3部長、環境ソリューション事業部産業設備部長、エンジニアリング事業部技術部長、理事エンジリアリング事業部長などを経て、18年4月から現職。北海道出身、54歳。

入社8年目、新宿パークタワーの施工現場の打ち合わせで
(左端が本人)

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