北海道胆振東部地震の発生から6日で1カ月が経過する。胆振地方で震度7、札幌市がある石狩地方でも震度6弱の強い揺れを観測。胆振地方は大規模な土砂崩れ、札幌市内では甚大な液状化が発生した。地震発生直後から地元の建設会社は行方不明者の捜索やインフラの応急復旧に奔走。地域の守り手として使命を果たした。土砂崩れがあった厚真町と、液状化に見舞われた札幌市の初動期対応を追った。
◇大規模停電、通信確保に課題◇
地震が発生したのは9月6日の午前3時7分。揺れの観測から間を置かずに、国土交通省北海道開発局は水島徹治局長を本部長とする災害対策本部を立ち上げ、北海道建設業協会などに対応を要請した。北海道建協を通じ応急復旧の要請を受けたのは、震源地である胆振地方中東部を担当区域とする室蘭建設業協会(中田孔幸会長)だった。
午前5時、室蘭建協が事務所を置く室蘭建設会館(室蘭市)には中田会長をはじめとする協会役員が集合し、対応に向けた協議を開始した。開発局からの要請は厚真町への重機と作業員の派遣だった。必要な重機の数が分からず、ありったけのバックホウをかき集めることに全力を注いだ。
積雪寒冷地の北海道では、雪が降る前の9~10月が工事の繁忙期。空いているバックホウは少なく、発注者との協議によって一時的に現場をストップさせるなどして、約70台のバックホウを確保した。
重機は確保したものの、地震に伴う停電で通信手段が制約を受けた。携帯電話も思うようにつながらず、指示を出す同会館と被災地の厚真町にいる業者の連絡もスムーズにはいかなかった。もどかしさを抱えながらの復旧作業。現地からは「重機が足りない」という連絡が入る一方で、数十台の重機が返却されたとの情報も入った。通信手段が分断されたことで情報が錯綜(さくそう)し、応急復旧の最前線は混乱を極めていた。
一方、札幌市では清田区で液状化が発生した。東区や北区などでは市営地下鉄沿いの道路で地盤沈下も起こり、舗装業者が応急復旧に当たっていた。
「これはひどい…」。札幌市内の道路舗装会社などで構成する札幌市清田区災害防災協力会(災防協)の櫻修二会長は、清田区の自宅を出た瞬間目の当たりにした光景に、言葉を失った。清田区土木センターからの要請を受けパトロールに向かうところだったが、自宅前の道路は至るところに陥没や亀裂が発生していた。
災防協は8時頃から応急復旧に出動。土砂崩れが発生した里塚の対応を最優先に、被害の連絡があった箇所に会員企業が向かった。
スムーズな応急復旧を阻んだのが全道で発生した停電だった。札幌市では市内にあるアスファルト合材工場が稼働を停止。このため合材が使えず、陥没した道路ではストックしていた砕石をまいて表面をならすだけの簡易な応急復旧で済ませるしかなかった。
連絡手段の分断も大きく影響した。厚真町では被災区域が広く、現場にいる業者同士で連絡が取れず作業が難航した。櫻会長は以前、東日本大震災を経験した建設業者から発災後は携帯電話が通じなくなると聞いていたが、「事態に直面して初めてこういうことなのかと痛感した」と振り返る。
建設業者の懸命な努力もあって、初動対応に大きな問題は生じなかった。だが土砂崩れや液状化が発生した地域の復旧は、緒に就いたばかりだ。
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