東京・臨海副都心の開発では事業の取りまとめを担った |
新しい街づくりに直接携わりたい-。中央官庁で建築技官として都市・住宅行政に長年携わってきた山田一郎さん(仮名)は、この仕事を志したきっかけをこう振り返る。
高校時代を過ごした1980年代前半のバブル期直前。家から近い場所ではニュータウン開発や駅前の都市再開発事業が形になり始めていた。変貌を遂げていく街の姿に、新しい時代の潮流を実感。大学では工学部都市工学科に進んで街づくりを学んだ。
入省後は希望がかない、東京駅周辺一帯や臨海副都心、汐留といった、日本を代表するような大規模都市開発事業の取りまとめを担当した。調整には苦労も多かった分、何ものにも代え難い充実感を得られた思い出深い仕事の一つだったと振り返る。
事業に多様な関係者が関わり、莫大(ばくだい)な投資も行われる大規模プロジェクト。事業を円滑に進める上では綿密な調整が不可欠になる。
「街づくりは数字や物理と違い、『教科書』のような存在がない。街に住んでいる方、働いている方…。街に携わるさまざまな方の多様な思いを受け止め、形にしていく必要がある。実際に進めていくのは難しい」
公務員は通常、2~3年ごとに人事異動で職務や役職が変わる。入省後は都市開発以外にも都市の景観形成や住宅団地再生、宅地防災など多岐にわたる仕事を担当。法制度や財政支援制度の整備、事業の調整などに携わってきた。「同僚と比べても多かった」と振り返る地方自治体への出向時代には、霞が関では分からなかった厳しい現実も目の当たりにした。
「ある県に出向した時驚いたのは、多くの建築技官が1級建築士や建築基準適合判定資格者の資格を持っていたこと。自前で建築確認の審査を行うケースがあるため、資格は不可欠だった。国からの出向といっても、資格を持っていなければ仲間として認めてもらえない雰囲気があった」
休日返上で猛勉強し、35歳で1級建築士、40歳の時には建築基準適合判定の資格を取得した。自身の経験から、国の後輩には「霞が関の役人は自治体に出向するケースが多い。若いうちに勉強して資格を取得しておいた方が良い」とアドバイスを送る。
16年4月に発生した熊本地震も印象に残っている。当時都市防災の担当者として、崩落などの被害が多発した盛り土造成宅地の復旧に尽力。熊本地震以降も災害が発生するたび、対応に追われた。
「災害はいつ起こるか分からない。東日本大震災の時、千葉県浦安市で発生した液状化もそうだが、若い時に都市防災を担当した頃には想定できなかった災害の起こり方が現実になっている」
退官まで残された時間はそう多くない。これまでの経験を生かし、2020年東京五輪・パラリンピック後の都市課題に対応した街づくりや、21年で丸10年を迎える東日本大震災の復興街づくりにも貢献したい。公務員として成し遂げたい胸に秘めた強い思いだ。
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