3月16日に発生した福島県沖地震で被災した東北新幹線が4月14日、全線で運転を再開した。発災直後からJR東日本は本社と仙台支社、パートナー企業である施工会社と連携しながら復旧活動を推進。過去の災害で得た知見を生かし、1カ月という短期間で運転を再開した。それは東日本エリアの大動脈とも言える新幹線をいち早く復旧するという鉄道マンの情熱と強固な組織力が成せる技だった。
3月16日午後11時36分。福島県沖を震源とするマグニチュード7・3の地震が発生し、交通インフラなどに深刻な影響をもたらした。特に首都圏と東北エリアを結ぶ重要路線の一つである東北新幹線は那須塩原~盛岡間の上下線で運転を見合わせた。
JR東日本では耐震性が低い構造物から優先して耐震補強を行っている。震源近くをはじめ損傷した高架橋柱の中には2011年3月の東日本大震災を受け、鋼板巻き立て補強した箇所も複数存在する。これらの施設は重大な被害を受けなかったが、高架橋柱と橋脚、柱同士をつなぐ中層梁など計60カ所に損傷が見つかった。
土木構造物の復旧作業は▽鉄道事業本部設備部▽新幹線統括本部▽構造技術センター▽仙台支社▽仙台支社仙台土木技術センター▽同郡山土木技術センター-などが対応。福島・白石蔵王間~くりこま高原・一ノ関間を管理する仙台土木技術センターはほとんどの所員が呼び出しを受けず、自発的に現場に向かった。1組当たり3人による計9パーティーで臨んだ。一方、那須塩原・新白河間~福島・白石蔵王間を管理する郡山土木技術センターでは30人が参集し、5~6パーティーに分かれて作業に従事した。
発災時は地震計の揺れ(カイン値)が一定レベルを超えたため、社員らが懐中電灯で照らしながら高架橋柱などを目視確認した。夜を徹して行われた被害の全容把握はJR東日本の社員だけでなく、構造物の維持管理などに協力する東鉄工業、仙建工業(仙台市青葉区、中村知久社長)、JR東日本コンサルタンツ東北支店(仙台市宮城野区、岩田道敏支店長)らパートナー企業も駆け付けた。
点検を通じて被害状況を整理した結果、JR東日本は列車への影響が生じると判断した。過去の災害事例を踏まえ、構造技術センターの指導により工法検討を行った。検討した工法をベースに仙台、郡山の両土木技術センターが17日から復旧工事を進めた。
最前線に立って復旧作業に携わった仙台土木技術センターの大井手裕佳副長は「どこが損傷を受ける箇所かもある程度分かり、過去の経験が役に立った」と話す。市街地に近い箇所に位置する柱などの修繕は、騒音など近隣への影響も考えられた。このため警察署に連絡するなど「考えつく限りの丁寧な対応を心掛け、近隣住民の協力と理解を得ながら昼夜施工を実現した」という。
郡山土木技術センターの菊田一澄副長も「大きな沈下を伴う変状は経験がなかった。構造技術センターだけでなく、パートナー企業とも連携して工法を検討したことが迅速な復旧につながった」と話す。
東日本大震災から数えて3回の被害を受けた東北新幹線。利用者の安全・安心を確保するには、普段から有事に備えた心構えが重要になる。
安田武道鉄道事業本部設備部工事施工管理グループリーダーは「災害への備えとして、耐震補強の工事を進めるのが肝要」と力を込める。過去の事例から地震の特徴や地域特性を捉えながら「今後も耐震性の低い箇所から優先的に対策を講じていく」と明かす。実際に地震が発生しても「技術や知見をしっかり身に付け、迅速にパーティーを組めるよう日頃から訓練を行う」などの自助努力も必要とした。
「東日本大震災を契機に変動が発生する部位や壊れやすい箇所などを記録書として残している」と話すのは菊田副長。「昨年2月に発生した地震や今回の地震では、作成した記録書を活用して復旧工事に当たった」とし、知見を蓄積し生かすことの重要性を説く。
情報通信の発達も復旧工事を後押ししている。安田グループリーダーは「テレビ会議システムなどの導入で関係者間の意思疎通がスムーズに行えるようになった。他支社からの応援によるマンパワーの確保、施工会社などとの信頼関係が早い復旧につながった」と振り返る。大井手副長は「発災直後は3連休を挟んでいたが、パートナー企業がしっかり資機材を調達してくれた」と感謝の意を示す。
復旧工事の終盤にはJR東日本コンサルタンツ東北支店らの協力を受け、速度を徐々に上げながら走行に異常がないかを確認する「速度向上試験」を実施。4月14日に全線で運転を再開し、5月13日に通常ダイヤに戻した。
1カ月で全線復旧にこぎ着けた東北新幹線。東北エリアと首都圏を往来するユーザーが快適で安心して利用できる環境は、JR東日本やパートナー企業を含む関係者の熱意によって成り立っていると言えよう。
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